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2011.05.22
 秋田の文化遺産として、平野政吉美術館(秋田県立美術館)と平野政吉が残したレオナール・フジタ(藤田嗣治)の作品を取り上げたい。
 明治28年、秋田の米穀商に生まれた平野政吉は、若い頃、我が国航空界の黎明期に飛行機の操縦に没頭し、操縦中に東京湾に墜落して九死に一生を得るなど、破天荒な人物であったことが知られているが、昭和9年、美術展で藤田嗣治に出会い、藤田とその作品に衝撃を受け、その後、藤田作品のコレクターとなり、藤田を物心両面で支えるなど、交友を深めた。P1010416平野美術館800x600.jpg
 昭和11年、秋田を訪れた藤田に秋田の全貌を描いた壁画を描いてもらうこととなり、翌12年、藤田は僅か15日で、縦365㌢、横2050㌢の当時、世界一と言われた大壁画「秋田の行事」を完成させた。  その後、平野政吉と藤田嗣治は秋田に「新しい奈良」を作ることで意気投合し、大壁画「秋田の行事」を東大寺の大仏に匹敵するものとし、正倉院を模した美術館を秋田に造ることを構想した。平野政吉は、昭和13年美術館建設に着手するが、戦時中の鉄材の使用制限、戦後の農地改革などで多くの資産を失ったことなどにより断念され、昭和42年、平野政吉の私財、県民の寄付金、県費、国庫補助金によって、平野政吉、藤田嗣治念願の美術館が29年の歳月を経て完成された。
 秋田市の中心部にある千秋公園のお堀を前景にしたこの美術館は、日本宮殿流れ式と言われる特徴的な屋根の形をしており、自然光を取り入れるための丸窓が付けられている。平野政吉によると、この採光窓は、藤田の助言によるものであり、平野はその助言を忠実に守ったと語っている。その事実は、複数の新聞、雑誌の記事に残されている。

 また、平野政吉は、昭和41年、美術館建設の報告のためパリ郊外、ヴィリエ・ル・バークルの藤田の家を訪れているが、その際、「秋田の行事」の展示は床から6尺(約1.8㍍)の位置に上げること、両端を少しずつせり出して据え付けることなどを藤田に直接、助言されている。藤田からアドバイスされた最高の展示になっていることがわかる。

 平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、大壁画「秋田の行事」を保存、展示し、鑑賞するために造られている。空間の広がりと藤田が平野に託したランスの「平和の聖母礼拝堂」と同様の柔らかな自然光が大壁画に降り注いでいる(注)。この美術鑑賞空間は、これからも秋田の文化遺産として後世に残していくべきである。


(注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。

<関連記事>
秋田の文化遺産…平野政吉美術館
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
美術館と自然光について
平野政吉のエピソード
平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
千秋公園の景観に溶け込む平野政吉美術館
平野政吉美術館の移転理由は何か 1
平野政吉美術館の移転理由は何か 2
平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
美術館建設宣言と「眠れる女」 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
美術館と自然光 … 1
美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合







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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



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  • 2011.05.22(23:26)|文化||TOP↑
    2011.05.28
     「私と別れ際、藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。藤田は、スケッチをくれた。これが最後の対面となった。」

     平野政吉は、1983年(昭和58年)1月12日に朝日新聞に掲載された「聞き書き わがレオナルド藤田」の中で、1966年(昭和41年)に美術館建設の報告を兼ね藤田に会いに行った際の様子を語り、藤田にそう助言されたと語っている。P1010425窓800x600.jpgまた、秋田県内の財団法人発行の雑誌の中で平野政吉の対談が掲載されており、同様に、藤田を訪ねた際、美術館の屋根はランス礼拝堂のような採光のとれる丸窓にしてくれと言われ、宮殿造りのギリシャ式柱廊の美術館に丸窓をつけて画伯の心を忠実に表わしたと語っている。

     藤田は、自らの画業の集大成として、フランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」の設計、壁画、ステンドグラスの制作に取り組み、1966年(昭和41年)10月に完成させているが、その壁画制作に入る直前に、平野政吉は藤田に会い、美術館の採光方式をアドバイスされている。

     1968年(昭和43年)1月29日、藤田はスイス、チューリッヒで亡くなったが、今は生前の藤田の希望により、自ら設計したランスの「平和と聖母礼拝堂」に眠っている。

     平野政吉は、美術館をこのランスの「平和と聖母礼拝堂」と同じ採光形式にするよう、藤田に託されており、現在の平野政吉美術館は、ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる、藤田の魂が込められていると言える。また、「平和の聖母礼拝堂」に描かれた藤田の最後の大作であるフレスコ壁画と同じように、大壁画「秋田の行事」には柔らかな自然光が降り注がれている(注)。

     世界で最も著名な日本人画家、レオナール・フジタ(藤田嗣治)が深く関わった建築物は、フランス、ヴィリエ・ル・バークルの住居兼アトリエであった「メゾン・アトリエ・フジタ」、ランスの「平和の聖母礼拝堂」があるが、日本では、平野政吉美術館以外にあるだろうか。

     平野政吉美術館(秋田県立美術館)は、千秋公園の緑に溶け込んだ佇まいの中に平野政吉とレオナール・フジタ(藤田嗣治)の交友の歴史を示しており、貴重な秋田の文化遺産として後世に残すべきである。


    (注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。

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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2011.05.28(00:17)|文化||TOP↑
    2011.06.02
     平野政吉は10代の頃から93歳で亡くなるまで生涯をかけ、その財力の全てを費やし、卓越した審美眼で美術品を収集し続けた。そのうち財団法人平野政吉美術館に寄贈された作品は601点で、藤田嗣治作品は101点である。

     大壁画「秋田の行事」は、藤田が平野政吉の求めに応じて、二人で構想した美術館を壁画で飾るために描かれた。縦365㌢、横2050㌢の大きさがあり、制作当時、世界一と言われた。
     昭和12年当時の秋田の人々の暮らし、年中行事と祭りが大迫力で描かれ、秋田の産業、歴史まで散りばめられている作品である。藤田はこの作品を描く前に「壁画は秋田の全ぼうが直ちに解る様に、あらゆる風俗又その時代的な意味に従って洩らさず描くつもりである」(「夕刊秋田」1936年《昭和11年》11月18日)と語っている。線と色彩の融合、生命力、パッションが画面に溢れており、藤田の特徴がよく表わされている。藤田はこの壁画を僅か15日で一気に描き上げ、完成後、「この大きさと時間の記録は、世界が終わるまで破られまい」「四百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」と興奮し、語っていたと言う。平野政吉は、藤田に当時の金額で、50万円支払ったとのことだ。当時、家が100軒建つ金である。

     「眠れる女」は藤田の4番目の妻、マドレーヌを描いた作品である。繊細な線描、乳白色の肌の秀作である。1936年(昭和11年)6月、マドレーヌが急死した際、経済的に困窮していた藤田が、平野政吉に売った作品であり、平野コレクションの藤田作品第一号となった。藤田はこの絵を夜行列車に乗り、一睡もせず、秋田に持ってきたという。平野の美術館建設構想を聞き、「お前、大丈夫だよ。ここは美術館になるんだからな」と言って秋田を去ったという逸話が残されている。
     この1936年(昭和11年)に平野政吉は、現在平野政吉美術館の大展示室に常設展示されている「北平の力士」、「五人女」、「カーニバルの後」など大作12点を、当時の金額5万円で購入している。当時、家が10軒建つ金額である。

     江戸時代から続く米穀商で、秋田県内有数の大地主の家に生まれた平野政吉は、経済的に恵まれ、月に米250俵分の金額を美術品収集に使うほどであったが、戦後の農地改革で多くの資産を失った。
     昭和42年、念願の美術館を建て終えた後、平野政吉は、秋田市大町にあった、藤田が「秋田の行事」を描き上げた米蔵や千秋矢留町の別邸などすべてを失った。
     現在、平野政吉を偲ぶものは、若い頃、藤田と二人で構想して以来、29年の歳月を費やし完成させた、正倉院を模した高床式のこの美術館だけである。

     平野政吉は、その生涯をかけ、全財力を費やし、レオナール・フジタ(藤田嗣治)作品を始めとした貴重な美術品を収集した。
     美術館は、平野政吉の業績の集大成であり、秋田の地に収集した作品を恒久に保存、展示するために造られたものだ。
     平野政吉の業績を称える意味においても、平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、平野コレクションとともに秋田の文化遺産として永く後世に伝えるべきである。



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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
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     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2011.06.02(14:08)|文化||TOP↑
    2011.06.08
     平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光形式については、藤田の意向であったことを詳しく5月28日の記事で書いたが、世界の美術館の中にも、館内に自然光を採り入れている美術館は多くある。
     (5月28日の記事〔http://akitabunka.blog.fc2.com/blog-entry-2.html〕)
     著名な美術館としては、フランス・パリのルーブル美術館、オルセー美術館、オランジュリー美術館、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、フォートワースのキンベル美術館、スペイン・バルセロナのミロ美術館などである。
     日本でも東京都江東区の東京都現代美術館、神奈川県横須賀市の横須賀美術館、神奈川県葉山市の神奈川県立近代美術館葉山館、岐阜県中津川市の熊谷守一記念館などがある。他にも多数ある。
     そのうち、オランジュリー美術館は、睡蓮の作者として有名なクロード・モネの「自然光で見てほしい」という遺志を再現するために、フランス政府によって、自然光を採り入れる展示に変えることが決定され、6年の工事を終え、2006年5月にリニューアルされた美術館である。
     ニューヨーク近代美術館は、日本人建築家、谷口吉生の設計により、2004年11月に再オープンし、館内は自然光に溢れている。
     また、東京・渋谷駅の連絡通路に2008年11月に設置、公開された、「秋田の行事」をも凌ぐ岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」(高さ5.5㍍、幅30㍍)も日中は自然光で観れるように配慮された展示になっている。
     作家や設置する側の者に明確なコンセプトがある場合、自然光による美術作品の展示は、作品や美術館自体の特徴を一層際立たせ、訪れる者を楽しませ、豊かな気持ちにさせ、美術鑑賞の場として満足感を与える。
     ところが、秋田県においては、昨年2月の県議会において、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸窓からの自然光が絵に悪い。だから、移転が必要だという議論がされた。全く浅はかな議論であり、残念なことであった。
     平野政吉美術館の採光は、大壁画「秋田の行事」の作者、藤田嗣治の「ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」という明確な遺志による採光形式となっており(注)、顕著な特徴を有しており、この特徴を今後も生かし、この美術館を藤田が最後に制作したフランス・ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる美術館として、世界に誇れる秋田の文化遺産として残していくべきである。
     平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、従来どおり、平野コレクション、藤田嗣治作品の恒久の保存、展示、鑑賞の場として後世に伝えていくべきである。


    (注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。

    <追記>
     万一、自然光の紫外線を懸念する場合は、近年の技術革新により、紫外線カットガラスや、ガラスに紫外線を吸収するためのコーティングを施すことによって対応できる。

    <関連記事>
    新県立美術館における「秋田の行事」の見え方について ~ 藤田嗣治が求めたのは自然光による採光形式であった
    懸念される新県立美術館での藤田嗣治「秋田の行事」の展示



    <関連記事>
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    美術館と自然光 … 1
    美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合






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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



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  • 2011.06.08(18:30)|文化||TOP↑
    2011.06.18
     1967年(昭和42年)5月5日、平野政吉美術館(秋田県立美術館)開館の日、平野政吉は、「16才から58年間、一途に集めてきた作品だけに愛着があり、藤田画伯も秋田に『新しい奈良』を築きなさいと私に語っていた。私としてはどうしても秋田の地に飾りたかった 」と述べている。平野政吉は、秋田に強い愛着のある人であった。
     また、平野政吉美術館は、青少年の育成を理念に掲げているが、平野政吉は、それを実践した人でもあった。美術館の敷地内に「平野美術研究所」を建て、子供から社会人まで集い、学んだと言う。
     また、ある方は、若い頃、毎日のように美術館に通っていた時、平野政吉に声をかけられ、「絵を教えるので明日から3ヵ月間、毎日美術館に通うように」と言われ、直接、絵画鑑賞の手ほどきを受けたとのことだ。また、子供頃、学校帰りに美術館に立ち寄った際、絵の説明をしてくれたうえに、いつもお菓子までいただいたという人の話もある。ほとんど毎日、羽織袴姿の正装で美術館におられ、訪れた人々に誰彼となく絵の話をされていたことが知られている。
     1968年(昭和43年)の藤田嗣治の葬儀の際も、紋付羽織袴姿で、フランスを訪れ、「フジタのパトロン。育ての親」と言われ、心から歓迎されたとのことだ。
     また、全国各地で、作品が出展される際は、いつも作品に付き添って出かけ、「藤田作品とともにある」という信念を貫いた人であった。
     藤田嗣治との長年の約束を果たし完成させた美術館を、平野政吉はフランスの理念が込められた建物であると話し、とても自慢していたとのことだ。念願の美術館に、強い愛着と誇りを持っていたことは疑いのないことだ。
     
     「美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」藤田はそう平野政吉に話し、平野はそれを忠実に守ったと証言している。そして平野美術館の特徴ある丸窓はこのためだと明言している。その事実は複数の新聞、雑誌の中で明らかになっている。(詳細は5月28日の記事を参照ください) 

     平野政吉は、生涯をかけ収集した作品を「秋田」の地に残すために、念願の美術館を完成させた。そしてこの美術館に藤田の理念と尊い思いが込められていることをとても誇りにしていた。
     その平野政吉の思い、遺志を考えた時、この美術館を移転するという考えは出ないはずではないか。
     美術館の創設者であり、すべての作品の寄贈者である平野政吉の遺志を尊重し、正しく継承するためにも、平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、今の佇まいのまま、藤田嗣治作品とともに後世に伝えるべきである。秋田の先人が残した貴重な秋田の文化遺産として末永く後世に伝えていくべきである。


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    美術館と自然光 … 1
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            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
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    階上の左右から見ることが出来なくなった。
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    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2011.06.18(14:30)|文化||TOP↑
    2011.06.30
     秋田市の中心部にある、桜とつつじの名所でもある都市公園、千秋公園の入口に、お堀を前景にし、周囲の木々の緑に囲まれるように佇む平野政吉美術館(秋田県立美術館)がある。この景観を愛する秋田市民、秋田県民は多い。現秋田県立美術館を建てる際、場所は、当時の小畑勇二郎秋田県知事、川口大助秋田市長によって決められている。恒久的な場所として、秋田市の一等地である現地が提供されたと推察される。美術館建設にあたっては、総工費2億3千万円のうち、県費のほか、平野政吉の私財5000万円、県民の寄付金2000万円、国庫補助金1500万円が充てられている。平野政吉の思いとともに県民の思いも込められ、官民一体となって建設された、秋田県民念願の美術館でもあった。
     設計は、日建設計工務株式会社(現株式会社日建設計)があたり、社員の設計士が図面を引いたとのことだが、その際、平野政吉から要望が出されていたことは間違いないと思われる。事実、平野政吉が語っていたように、建物は正倉院を模した高床式になっており、屋根には平野が藤田嗣治から直接助言された、採光がとれる丸窓が付いている。
     秋田県立美術館(平野政吉美術館)の移転理由に、老朽化し今後10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要だからとあったが、今年2月17日には、知事が「現美術館の再活用も可能だ」と発言している。真の理由であったのか疑わしい。耐震診断もせず、現在の耐震技術では東京都台東区の国立西洋美術館や神奈川県箱根町のポーラ美術館が採用している建物の揺れを軽減させる「免震構造」という技術もあるが、一切検討することもなく、移転の宣伝には多額の県費が使われている。
     この移転計画は、始めから平野美術館の移転、跡地には他の施設、という目論見があった計画だったと思われる。
     平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、40数年間、秋田市の観光名所として秋田市民、秋田県民に親しまれてきた美術館である。千秋公園の緑に溶け込み、都市公園、千秋公園の役割にも機能している。これからも秋田の象徴の一つとして、藤田嗣治から助言を受けた現在の佇まいのまま、世界に誇れる美術館として後世に伝えていくべきである。



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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2011.06.30(22:06)|文化||TOP↑
    2011.07.15
     財団法人平野政吉美術館が平野政吉美術館の移転要請をされたのは、2007年(平成19年)11月であったが、主な移転理由は、平野美術館にある藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を再開発地区の集客の目玉にしたい。現美術館が老朽化し10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要となる。県財政が厳しく、10年後の改修費の確保が困難になる可能性があり、今回移転したほうがよいなどであった。

     「秋田の行事」は藤田嗣治の最大の作品で、観る者を圧倒する迫力ある大壁画である。昭和12年当時の秋田の人々の暮らし、祭り、年中行事などが、藤田の特徴ある線と色彩で描かれている。この「秋田の行事」を集客の目玉にということであるが、現美術館と新美術館建設予定地は、僅か200メートルしか離れていない。しかも、現在地のほうが、秋田市で一番の観光名所、千秋公園の入口にあり、集客面でも優れている。わざわざ再開発地区の商業施設と隣接した場所に移さなければならない合理的理由は見当たらない。また、現在、平野政吉美術館(現秋田県立美術館)に展示されている「秋田の行事」は、床から6尺(約1.8メートル)の位置に据えること、両端を迫り出して据えること(アールを付けること)を藤田嗣治から直接助言を受け展示しており、美術館自体が「秋田の行事」を展示、鑑賞することを主目的に建設されたものだ。「秋田の行事」を鑑賞するうえで、最高の展示状況にあると言える。この美術館から「秋田の行事」を移設しなければならない正当な理由があるのだろうか。また、「秋田の行事」に限らず、藤田嗣治作品を集客目的に考える発想は疑問視される。

     次に、美術館の建物が老朽化し、10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要であるとのことだが、建物の耐震診断さえ結局実施されなかった。また、昨年2月と今年2月の県議会において、知事は「現美術館の文化施設など美術館以外の活用も可能だ」と発言している。それならば現美術館の移転は必要ないのではと多くの人が思ったはずだ。また、美術館としては使用不可で、他の施設なら可であるという合理的理由がどこにあるのだろうか。
     県財政が厳しく、10年後の改修費確保が困難になる可能性があると言う点については信じ難い気がする。今回移転した場合、始めは県有地との相殺により県の支出がほとんどないと説明していたものが、昨年の県議会では9億2千万円の支出に変わり、それでも計画の見直しや検討さえしようとしなかった。著名建築家に依頼したために数億円の設計費を支出したり、移転宣伝費にも多額の支出をしている。財政上有利だという説明は、真の理由ではなかったようだ。
    平野政吉美術館の移転理由は何か 2 につづく



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    平野政吉美術館の移転が画策された理由
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    移転理由が存在しなくなった現県立美術館(平野政吉美術館)
    理由のない美術館移転、誰のため? 何のため?

    (タグ)平野政吉美術館の移転理由






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2011.07.15(02:00)|文化||TOP↑
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    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
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