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2011.06.30
 秋田市の中心部にある、桜とつつじの名所でもある都市公園、千秋公園の入口に、お堀を前景にし、周囲の木々の緑に囲まれるように佇む平野政吉美術館(秋田県立美術館)がある。この景観を愛する秋田市民、秋田県民は多い。現秋田県立美術館を建てる際、場所は、当時の小畑勇二郎秋田県知事、川口大助秋田市長によって決められている。恒久的な場所として、秋田市の一等地である現地が提供されたと推察される。美術館建設にあたっては、総工費2億3千万円のうち、県費のほか、平野政吉の私財5000万円、県民の寄付金2000万円、国庫補助金1500万円が充てられている。平野政吉の思いとともに県民の思いも込められ、官民一体となって建設された、秋田県民念願の美術館でもあった。
 設計は、日建設計工務株式会社(現株式会社日建設計)があたり、社員の設計士が図面を引いたとのことだが、その際、平野政吉から要望が出されていたことは間違いないと思われる。事実、平野政吉が語っていたように、建物は正倉院を模した高床式になっており、屋根には平野が藤田嗣治から直接助言された、採光がとれる丸窓が付いている。
 秋田県立美術館(平野政吉美術館)の移転理由に、老朽化し今後10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要だからとあったが、今年2月17日には、知事が「現美術館の再活用も可能だ」と発言している。真の理由であったのか疑わしい。耐震診断もせず、現在の耐震技術では東京都台東区の国立西洋美術館や神奈川県箱根町のポーラ美術館が採用している建物の揺れを軽減させる「免震構造」という技術もあるが、一切検討することもなく、移転の宣伝には多額の県費が使われている。
 この移転計画は、始めから平野美術館の移転、跡地には他の施設、という目論見があった計画だったと思われる。
 平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、40数年間、秋田市の観光名所として秋田市民、秋田県民に親しまれてきた美術館である。千秋公園の緑に溶け込み、都市公園、千秋公園の役割にも機能している。これからも秋田の象徴の一つとして、藤田嗣治から助言を受けた現在の佇まいのまま、世界に誇れる美術館として後世に伝えていくべきである。



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18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
美術館と自然光 … 1
美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合






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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



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  • 2011.06.30(22:06)|文化||TOP↑
    2011.07.15
     財団法人平野政吉美術館が平野政吉美術館の移転要請をされたのは、2007年(平成19年)11月であったが、主な移転理由は、平野美術館にある藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を再開発地区の集客の目玉にしたい。現美術館が老朽化し10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要となる。県財政が厳しく、10年後の改修費の確保が困難になる可能性があり、今回移転したほうがよいなどであった。

     「秋田の行事」は藤田嗣治の最大の作品で、観る者を圧倒する迫力ある大壁画である。昭和12年当時の秋田の人々の暮らし、祭り、年中行事などが、藤田の特徴ある線と色彩で描かれている。この「秋田の行事」を集客の目玉にということであるが、現美術館と新美術館建設予定地は、僅か200メートルしか離れていない。しかも、現在地のほうが、秋田市で一番の観光名所、千秋公園の入口にあり、集客面でも優れている。わざわざ再開発地区の商業施設と隣接した場所に移さなければならない合理的理由は見当たらない。また、現在、平野政吉美術館(現秋田県立美術館)に展示されている「秋田の行事」は、床から6尺(約1.8メートル)の位置に据えること、両端を迫り出して据えること(アールを付けること)を藤田嗣治から直接助言を受け展示しており、美術館自体が「秋田の行事」を展示、鑑賞することを主目的に建設されたものだ。「秋田の行事」を鑑賞するうえで、最高の展示状況にあると言える。この美術館から「秋田の行事」を移設しなければならない正当な理由があるのだろうか。また、「秋田の行事」に限らず、藤田嗣治作品を集客目的に考える発想は疑問視される。

     次に、美術館の建物が老朽化し、10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要であるとのことだが、建物の耐震診断さえ結局実施されなかった。また、昨年2月と今年2月の県議会において、知事は「現美術館の文化施設など美術館以外の活用も可能だ」と発言している。それならば現美術館の移転は必要ないのではと多くの人が思ったはずだ。また、美術館としては使用不可で、他の施設なら可であるという合理的理由がどこにあるのだろうか。
     県財政が厳しく、10年後の改修費確保が困難になる可能性があると言う点については信じ難い気がする。今回移転した場合、始めは県有地との相殺により県の支出がほとんどないと説明していたものが、昨年の県議会では9億2千万円の支出に変わり、それでも計画の見直しや検討さえしようとしなかった。著名建築家に依頼したために数億円の設計費を支出したり、移転宣伝費にも多額の支出をしている。財政上有利だという説明は、真の理由ではなかったようだ。
    平野政吉美術館の移転理由は何か 2 につづく



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    移転理由が存在しなくなった現県立美術館(平野政吉美術館)
    理由のない美術館移転、誰のため? 何のため?

    (タグ)平野政吉美術館の移転理由






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2011.07.15(02:00)|文化||TOP↑
    2011.10.03
     平野政吉美術館の周囲の木々も少しずつ色づき始め、秋の気配を感じさせます。
     千秋公園内の季節の移ろいの風景の中に平野政吉美術館は溶け込み、この景色になくてはならないものになっている。この美術館のある風景は、藤田嗣治作品とともにこれからの時代に受け継いでいきたい。


    P1010578 平野美術館 秋 w800.jpg

    【「大手門の堀」の蓮と平野政吉美術館】



    P1010591 平野美術館 秋 800x600 ◯.jpg



    P1010582 平野美術館 秋 800x600 ◯.jpg



    P1010586 平野美術館と堀 800x600 ◯.jpg

    【「穴門の堀」と微かに見える平野政吉美術館の屋根】




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    以前より展示室が狭くなった。
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    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
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    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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  • 2011.10.03(17:00)|文化||TOP↑
    2011.11.10
     秋の深まりを感じさせる風景の中に佇む平野政吉美術館の風景をご紹介します。この木々の風景の中に平野政吉美術館は調和し、溶け込んでいる。この落ち着きのある、風格ある風景は、収蔵されている「秋田の行事」を始めとする藤田嗣治作品とともに末永く後世に伝えていきたい。

    P1010023_01 平野美術館 晩秋 800x600.jpg
     

    P1010021_01 平野美術館 晩秋 800x600.jpg


    P1010003_02 平野政吉美術館 晩秋 800x600.jpg


    P1010030_01 平野美術館 晩秋 800x600.jpg
    平野政吉美術館の丸い採光窓


    P1010035_01 平野美術館 晩秋 800x600.jpg
    広小路方面から見た平野政吉美術館


    P1010066_01 平野美術館 晩秋 800x600.jpg
    平野政吉美術館敷地内の椅子


    P1010068_01 千秋公園表門 晩秋 800x600.jpg
    千秋公園内の本丸表門


    P1010072_01 千秋公園 晩秋 800x600.jpg
    千秋公園内の風景と遠方に見える太平山





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  • 2011.11.10(23:30)|文化||TOP↑
    2012.03.30
     千秋公園の堀を覆っていた雪もすっかり消え、春の訪れを感じさせる。堀の水面を前景にして、平野政吉美術館は優美に佇んでいる。75年前の3月7日、藤田嗣治は秋田の地で、秋田の全貌を描いた壁画(後に「秋田の行事」と呼ばれる)を完成させた。画面には、昭和12年(1937年)当時の秋田が、生き生きと鮮やかに描かれている。「秋田の行事」完成から30年の歳月を経て、完成された平野政吉美術館。平野政吉と藤田嗣治の思いが込められたこの美術館で、これからも「秋田の行事」を鑑賞し、二人の思いを感じたいものだ。この貴い美術館を、次の世代にしっかりと伝えていきたい。


    P1010264 平野政吉美術館(春)800x600

    P1010275 平野美術館(春)800x600


    P1010271 平野美術館(春)800x600

    P1010288 平野美術館(春)800x600

    P1010287_01 平野美術館(春)800x600


    P1010292 平野美術館(春)800x600


    P1010262 平野美術館(春)800x600





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    千秋公園の景観に溶け込む平野政吉美術館
    平野政吉美術館の移転理由は何か 1
    平野政吉美術館の移転理由は何か 2
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    美術館建設宣言と「眠れる女」 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



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  • 2012.03.30(00:00)|文化||TOP↑
    2012.05.31
     新緑に囲まれた平野政吉美術館と千秋公園に咲くつつじの風景を紹介します。
     新緑の木々の中に平野政吉美術館は調和し、優美に佇んでいます。平野政吉が生涯を懸け建てたこの美術館を、収蔵されている藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を始めとした平野コレクションとともに末永く後世に伝えていくべきである。 


    P1010358 平野美術館(5月)
    新緑に囲まれた平野政吉美術館


    P1010412_01 平野美術館 門(5月)
    平野政吉美術館の門付近


    P1010370 千秋公園の堀(5月)
    千秋公園の堀端のつつじ


    P1010427 平野美術館(5月)
    中土橋から見た平野政吉美術館


    P1010411 平野美術館 丸窓(5月)
    平野政吉美術館の丸窓


    P1010467 千秋公園 つつじ(5月)
    千秋公園内のつつじ


    P1010448_01 平野美術館(5月)
    平野政吉美術館正面



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    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    平野政吉が語った藤田嗣治作品の魅力
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2012.05.31(23:55)|文化||TOP↑
    2012.07.01
     初夏の千秋公園の堀を前景にし、緑に溶け込み佇む平野政吉美術館の風景をご紹介します。
     大手門の堀は、蓮の葉で覆われ、その背後に平野政吉美術館が、優美な姿を見せています。藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」のために、平野政吉と藤田嗣治が構想し、30年の時を経て完成したこの美術館は、100年、200年と恒久に、平野政吉と藤田嗣治の理念と思いを受け継ぎ、伝えて行くべきである。


    P1010539 平野政吉美術館(6月)800x600 ○
    大手門の堀を前景にした平野政吉美術館


    P1010483 平野政吉美術館(6月)800x600
    平野政吉美術館正面


    P1010481_01 平野政吉美術館(6月)800x600
    中土橋から見た平野政吉美術館


    P1010502_01 平野政吉美術館(6月)800x600


    P1010524_01 千秋公園の堀(6月)800x600
    穴門の堀



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    藤田嗣治「秋田の行事」と平野政吉美術館は一体の文化遺産






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2012.07.01(22:16)|文化||TOP↑
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    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
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