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2011.05.28
 「私と別れ際、藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。藤田は、スケッチをくれた。これが最後の対面となった。」

 平野政吉は、1983年(昭和58年)1月12日に朝日新聞に掲載された「聞き書き わがレオナルド藤田」の中で、1966年(昭和41年)に美術館建設の報告を兼ね藤田に会いに行った際の様子を語り、藤田にそう助言されたと語っている。P1010425窓800x600.jpgまた、秋田県内の財団法人発行の雑誌の中で平野政吉の対談が掲載されており、同様に、藤田を訪ねた際、美術館の屋根はランス礼拝堂のような採光のとれる丸窓にしてくれと言われ、宮殿造りのギリシャ式柱廊の美術館に丸窓をつけて画伯の心を忠実に表わしたと語っている。

 藤田は、自らの画業の集大成として、フランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」の設計、壁画、ステンドグラスの制作に取り組み、1966年(昭和41年)10月に完成させているが、その壁画制作に入る直前に、平野政吉は藤田に会い、美術館の採光方式をアドバイスされている。

 1968年(昭和43年)1月29日、藤田はスイス、チューリッヒで亡くなったが、今は生前の藤田の希望により、自ら設計したランスの「平和と聖母礼拝堂」に眠っている。

 平野政吉は、美術館をこのランスの「平和と聖母礼拝堂」と同じ採光形式にするよう、藤田に託されており、現在の平野政吉美術館は、ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる、藤田の魂が込められていると言える。また、「平和の聖母礼拝堂」に描かれた藤田の最後の大作であるフレスコ壁画と同じように、大壁画「秋田の行事」には柔らかな自然光が降り注がれている(注)。

 世界で最も著名な日本人画家、レオナール・フジタ(藤田嗣治)が深く関わった建築物は、フランス、ヴィリエ・ル・バークルの住居兼アトリエであった「メゾン・アトリエ・フジタ」、ランスの「平和の聖母礼拝堂」があるが、日本では、平野政吉美術館以外にあるだろうか。

 平野政吉美術館(秋田県立美術館)は、千秋公園の緑に溶け込んだ佇まいの中に平野政吉とレオナール・フジタ(藤田嗣治)の交友の歴史を示しており、貴重な秋田の文化遺産として後世に残すべきである。


(注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。

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秋田の文化遺産…平野政吉美術館
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平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
美術館と自然光について
平野政吉のエピソード
平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
千秋公園の景観に溶け込む平野政吉美術館
平野政吉美術館の移転理由は何か 1
平野政吉美術館の移転理由は何か 2
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18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
美術館と自然光 … 1
美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合





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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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  • 2011.05.28(00:17)|文化||TOP↑
    2011.06.08
     平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光形式については、藤田の意向であったことを詳しく5月28日の記事で書いたが、世界の美術館の中にも、館内に自然光を採り入れている美術館は多くある。
     (5月28日の記事〔http://akitabunka.blog.fc2.com/blog-entry-2.html〕)
     著名な美術館としては、フランス・パリのルーブル美術館、オルセー美術館、オランジュリー美術館、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、フォートワースのキンベル美術館、スペイン・バルセロナのミロ美術館などである。
     日本でも東京都江東区の東京都現代美術館、神奈川県横須賀市の横須賀美術館、神奈川県葉山市の神奈川県立近代美術館葉山館、岐阜県中津川市の熊谷守一記念館などがある。他にも多数ある。
     そのうち、オランジュリー美術館は、睡蓮の作者として有名なクロード・モネの「自然光で見てほしい」という遺志を再現するために、フランス政府によって、自然光を採り入れる展示に変えることが決定され、6年の工事を終え、2006年5月にリニューアルされた美術館である。
     ニューヨーク近代美術館は、日本人建築家、谷口吉生の設計により、2004年11月に再オープンし、館内は自然光に溢れている。
     また、東京・渋谷駅の連絡通路に2008年11月に設置、公開された、「秋田の行事」をも凌ぐ岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」(高さ5.5㍍、幅30㍍)も日中は自然光で観れるように配慮された展示になっている。
     作家や設置する側の者に明確なコンセプトがある場合、自然光による美術作品の展示は、作品や美術館自体の特徴を一層際立たせ、訪れる者を楽しませ、豊かな気持ちにさせ、美術鑑賞の場として満足感を与える。
     ところが、秋田県においては、昨年2月の県議会において、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸窓からの自然光が絵に悪い。だから、移転が必要だという議論がされた。全く浅はかな議論であり、残念なことであった。
     平野政吉美術館の採光は、大壁画「秋田の行事」の作者、藤田嗣治の「ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」という明確な遺志による採光形式となっており(注)、顕著な特徴を有しており、この特徴を今後も生かし、この美術館を藤田が最後に制作したフランス・ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる美術館として、世界に誇れる秋田の文化遺産として残していくべきである。
     平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、従来どおり、平野コレクション、藤田嗣治作品の恒久の保存、展示、鑑賞の場として後世に伝えていくべきである。


    (注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。

    <追記>
     万一、自然光の紫外線を懸念する場合は、近年の技術革新により、紫外線カットガラスや、ガラスに紫外線を吸収するためのコーティングを施すことによって対応できる。

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            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2011.06.08(18:30)|文化||TOP↑
    2011.12.17
     平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光形式については、藤田の意向であったことを詳しく5月28日の記事で書いたが、世界の美術館の中にも、館内に自然光を採り入れている美術館は多くある。
     (5月28日の記事〔http://akitabunka.blog.fc2.com/blog-entry-2.html〕)
     著名な美術館としては、フランス・パリのルーブル美術館、オルセー美術館、オランジュリー美術館、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、フォートワースのキンベル美術館、スペイン・バルセロナのミロ美術館などである。
     日本でも東京都江東区の東京都現代美術館、神奈川県横須賀市の横須賀美術館、神奈川県葉山市の神奈川県立近代美術館葉山館、岐阜県中津川市の熊谷守一記念館などがある。他にも多数ある。
     そのうち、オランジュリー美術館は、睡蓮の作者として有名なクロード・モネの「自然光で見てほしい」という遺志を再現するために、フランス政府によって、自然光を採り入れる展示に変えることが決定され、6年の工事を終え、2006年5月にリニューアルされた美術館である。
     ニューヨーク近代美術館は、日本人建築家、谷口吉生の設計により、2004年11月に再オープンし、館内は自然光に溢れている。
     また、東京・渋谷駅の連絡通路に2008年11月に設置、公開された、「秋田の行事」をも凌ぐ岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」(高さ5.5㍍、幅30㍍)も日中は自然光で観れるように配慮された展示になっている。
     作家や設置する側の者に明確なコンセプトがある場合、自然光による美術作品の展示は、作品や美術館自体の特徴を一層際立たせ、訪れる者を楽しませ、豊かな気持ちにさせ、美術鑑賞の場として満足感を与える。
     ところが、秋田県においては、昨年2月の県議会において、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸窓からの自然光が絵に悪い。だから、移転が必要だという議論がされた。全く浅はかな議論であり、残念なことであった。
     平野政吉美術館の採光は、大壁画「秋田の行事」の作者、藤田嗣治の「ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」という明確な遺志による採光形式となっており(注)、P1010032_01 hir.jpg際立った特徴を有しており、この特徴を今後も生かし、この美術館を藤田が最後に制作したフランス・ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる美術館として、世界に誇れる秋田の文化遺産として残していくべきである。
     平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、従来どおり、平野コレクション、藤田嗣治作品の恒久の保存、展示、鑑賞の場として後世に伝えていくべきである。


    (注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。

    <追記>
     万一、自然光の紫外線を懸念する場合は、近年の技術革新により、紫外線カットガラスや、ガラスに紫外線を吸収するためのコーティングを施すことによって対応できる。
                      
    (この記事は6月8日に投稿した「美術館と自然光について」を再構成したものです)

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            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2011.12.17(23:10)|文化||TOP↑
    2011.12.20
     今年10月10日、魅力的な美術館が、長野県軽井沢町にオープンした。金沢21世紀美術館の設計(妹島和世氏とのユニット、SANAA)でも有名な建築家の西沢立衛氏が設計した「軽井沢千住博美術館」である。館内には、日本画家・千住博氏が、1978年から2011年にかけて制作した約100点の作品が所蔵されている。
     千住博氏は、1995年に開催された第46回ヴェネチア・ビエンナーレ絵画部門で東洋人として初めての名誉賞を受賞するなど、世界的に注目されている日本画家だ。
     千住氏が自ら開館に合わせ選んだという、流れ落ちる水を表現し描いた「滝のシリーズ」、新作「ウォーターホール」などの作品が展示され、千住氏の画業を写真や映像で紹介するギャラリー館も併設されている。
     この美術館は「森の中を歩いているように、自然光で作品を見てもらいたい」という千住氏の意向で、美術館の周囲はガラスが多用されている。館内にはガラスを隔てて外部とつながるスペースも設置され、美術館の周囲の樹木、草花を見ることができる。また、館内のガラスは作品に配慮し、紫外線をカットする特殊加工のものが使用されている。
     千住博氏と西沢立衛氏のコラボレーションによるこの美術館は、自然光に満ち溢れた空間の中、展示された作品と周囲の風景が調和して繋がるよう配慮され設計されている。西沢氏によると「軽井沢の風景や緑、光が室内に柔らかく入ってきて、軽井沢の自然と千住さんの芸術が、融合し調和します」とのこと。
     自然光を積極的に採り入れ、周囲の自然と千住博氏の作品との融合を計った魅力溢れる美術館である。


    ユーチューブより



     近年の技術革新により、紫外線をカットできる紫外線カットガラスができ、美術館でも紫外線を気にせず自然光を採り入れることが可能になっている。
     そのため、現在は自然光が館内に降り注ぐ、明るく開放的な美術館が多くなってきているようだ。
     2007年1月21日に東京・六本木にオープンした国立新美術館(設計、黒川紀章)もガラスの外壁面(カーテンウォール)が美しく、館内には自然光がふんだんに降り注いでいるが、館内のガラスには日本で開発された赤外線と紫外線を吸収するための特殊コーティングが施されている。

     フランス・パリのルーブル美術館でも、レオナルド・ダ・ヴィンチ の「モナ・リザ」を始め、500年以上前に描かれた絵画も自然光に溢れた環境の中で展示、鑑賞されている。


    ユーチューブより



    ルーブル美術館 内部 の画像(Google画像検索)
     


     秋田市の平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、藤田嗣治のアドバイスにより、藤田が最後に制作したランス礼拝堂(平和の聖母礼拝堂)と同じ採光形式 ― 美術館の屋根の丸窓から自然光を採り入れた採光形式 ― になっている。(注、著者が数週間前に訪れた際、天井に自然光を遮る仕切りを設置しているのを確認)
     天井高18メートル、広さ500㎡の展示室の大空間、上方からの柔らかな自然光は、藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」(高さ3.65メートル、幅20.5メートル)の魅力を引き出すうえで、非常に有効なものだ。もし、丸窓からの紫外線を懸念する場合は、紫外線カットガラスや、ガラスに紫外線を吸収するためのコーティングを施すことで対応できる。
     この藤田のアドバイスによる「秋田の行事」の鑑賞空間は、これからも秋田の文化遺産として後世に伝えていくべきである。


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    懸念される新県立美術館での藤田嗣治「秋田の行事」の展示


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    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    美術館建設宣言と「眠れる女」 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    藤田嗣治「秋田の行事」の魅力





            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



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  • 2011.12.20(02:55)|文化||TOP↑
    2013.04.24
     1968年2月、パリに一人の日本人が訪れた。日本古来の伝統的な紋付羽織袴姿で訪れたその人こそ、秋田からレオナール・フジタ(藤田嗣治)の葬儀に参列するためにやってきた平野政吉であった。フジタの葬儀はランスのノートルダム大聖堂で盛大に執り行われた。1934年(昭和9年)、東京都内の美術展で出会って以来、交友のあった平野政吉と藤田嗣治にとって最後の別れとなった。平野政吉は、藤田嗣治作品の収集家、パトロンとして、フランスにおいても有名であり歓迎された。
     「もう、先生の作品を購入できなくなった」 平野政吉は悲しみ嘆いた。
     平野政吉はその2年前、1966年(昭和41年)5月に、パリ郊外のヴィリエ・ル・バークルに住むフジタを訪ねていた。二人にとって念願であった美術館建設の報告のためであった。平野は完成する美術館へフジタを招待したが、高齢を案じた夫人の反対で実現しなかった。しかし、その時、美術館の採光形式について、貴重なアドバイスをしてもらっていた。
    blog_import_4f812ceaf1b1a 平野政吉美術館の採光-2
     「美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」注、7月29日の記事参照
     フジタは、自らの画業の集大成としてランスで「平和の聖母礼拝堂」の設計、壁画、彫刻、ステンドグラスの制作に取り組んでいたが、美術館の採光をその「平和の聖母礼拝堂」と同じ採光の形式にするよう、平野政吉に託したのであった。
     「私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ」 平野政吉はそう語っている。注、7月29日の記事参照
     フジタの遺体は紆余曲折の末、2003年より、ランス「平和の聖母礼拝堂」に移され、永眠している。「終生の舞台とした(フジタ)礼拝堂の中で眠るつもりだ」と記した日記が発見されたためであった。 (注、11月15日の記事参照
     フジタが永遠の眠りにつく「平和の聖母礼拝堂」と平野政吉美術館はフジタの助言によって、思いが結びつき、平野政吉美術館の丸窓から降り注ぐ自然光は、レオナール・フジタ(藤田嗣治)の尊い、最後の思い、願いそのものであるように著者には感じられる。


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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2013.04.24(03:07)|文化||TOP↑
    2013.04.28
     「私と別れ際、藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。藤田は、スケッチをくれた。これが最後の対面となった。」

     平野政吉は、1983年(昭和58年)1月12日に朝日新聞に掲載された「聞き書き わがレオナルド藤田」の中で、1966年(昭和41年)に美術館建設の報告を兼ね藤田に会いに行った際の様子を語り、藤田にそう助言されたと語っている。P1010425E7AA93800x600 平野政吉美術館の採光
    また、秋田県内の財団法人発行の雑誌の中で平野政吉の対談が掲載されており、同様に、藤田を訪ねた際、美術館の屋根はランス礼拝堂のような採光のとれる丸窓にしてくれと言われ、宮殿造りのギリシャ式柱廊の美術館に丸窓をつけて画伯の心を忠実に表わしたと語っている。

     藤田は、自らの画業の集大成として、フランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」の設計、壁画、ステンドグラスの制作に取り組み、1966年(昭和41年)10月に完成させているが、その壁画制作に入る直前に、平野政吉は藤田に会い、美術館の採光方式をアドバイスされている。

     1968年(昭和43年)1月29日、藤田はスイス、チューリッヒで亡くなったが、今は生前の藤田の希望により、自ら設計したランスの「平和と聖母礼拝堂」に眠っている。

     平野政吉は、美術館をこのランスの「平和と聖母礼拝堂」と同じ採光形式にするよう、藤田に託されており、現在の平野政吉美術館は、ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる、藤田の魂が込められていると言える。また、「平和の聖母礼拝堂」に描かれた藤田の最後の大作であるフレスコ壁画と同じように、大壁画「秋田の行事」には柔らかな自然光が降り注がれている(注)。

     世界で最も著名な日本人画家、レオナール・フジタ(藤田嗣治)が深く関わった建築物は、フランス、ヴィリエ・ル・バークルの住居兼アトリエであった「メゾン・アトリエ・フジタ」、ランスの「平和の聖母礼拝堂」があるが、日本では、平野政吉美術館以外にあるだろうか。  

     平野政吉美術館(秋田県立美術館)は、千秋公園の緑に溶け込んだ佇まいの中に平野政吉とレオナール・フジタ(藤田嗣治)の交友の歴史を示しており、貴重な秋田の文化遺産として後世に残すべきである。


    (注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。


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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    以前より展示室が狭くなった。
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    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
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     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
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     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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  • 2013.04.28(17:05)|文化||TOP↑
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    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
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