<< topページへ
TOP
2011.07.27
 秋田の文化遺産として、平野政吉美術館(秋田県立美術館)と平野政吉が残したレオナール・フジタ(藤田嗣治)の作品を取り上げたい。
 明治28年、秋田の米穀商に生まれた平野政吉は、若い頃、我が国航空界の黎明期に飛行機の操縦に没頭し、操縦中に東京湾に墜落して九死に一生を得るなど、破天荒な人物であったことが知られているが、昭和9年、美術展で藤田嗣治に出会い、藤田とその作品に衝撃を受け、その後、藤田作品のコレクターとなり、藤田を物心両面で支えるなど、交友を深めた。P1010415平野美術館800x600.jpg
 昭和11年、秋田を訪れた藤田に秋田の全貌を描いた壁画を描いてもらうこととなり、翌12年、藤田は僅か15日で、縦365㌢、横2050㌢の当時、世界一と言われた大壁画「秋田の行事」を完成させた。
 その後、平野政吉と藤田嗣治は秋田に「新しい奈良」を作ることで意気投合し、大壁画「秋田の行事」を東大寺の大仏に匹敵するものとし、正倉院を模した美術館を秋田に造ることを構想した。平野政吉は、昭和13年美術館建設に着手するが、戦時中の鉄材の使用制限、戦後の農地改革などで多くの資産を失ったことなどにより断念され、昭和42年、平野政吉の私財、県民の寄付金、県費、国庫補助金によって、平野政吉、藤田嗣治念願の美術館が29年の歳月を経て完成された。
 秋田市の中心部にある千秋公園のお堀を前景にしたこの美術館は、日本宮殿流れ式と言われる特徴的な屋根の形をしており、自然光を取り入れるための丸窓が付けられている。平野政吉によると、この採光窓は、藤田の助言によるものであり、平野はその助言を忠実に守ったと語っている。その事実は、複数の新聞、雑誌の記事に残されている。

 また、平野政吉は、昭和41年、美術館建設の報告のためパリ郊外、ヴィリエ・ル・バークルの藤田の家を訪れているが、その際、「秋田の行事」の展示は床から6尺(約1.8㍍)の位置に上げること、両端を少しずつせり出して据え付けることなどを藤田に直接、助言されている。藤田からアドバイスされた最高の展示になっていることがわかる。

 平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、大壁画「秋田の行事」を保存、展示し、鑑賞するために造られている。空間の広がりと藤田が平野に託したランスの「平和の聖母礼拝堂」と同様の柔らかな自然光が大壁画に降り注いでいる(注)。この美術鑑賞空間は、これからも秋田の文化遺産として後世に残していくべきである。


(注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。



<関連記事>
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
美術館と自然光について
平野政吉のエピソード
平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
千秋公園の景観に溶け込む平野政吉美術館
平野政吉美術館の移転理由は何か 1
平野政吉美術館の移転理由は何か 2
平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
美術館建設宣言と「眠れる女」 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合




スポンサーサイト


        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



関連記事
平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



関連記事


  •    このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2011.07.27(05:00)|文化||TOP↑
    2011.09.21
     昭和11年3月の秋田訪問の際、藤田は、歓迎会の席の挨拶で「世界第一の芸術家、大日本帝国・藤田嗣治の名において、1923年(大正12年)、バチカン宮殿で、ローマ法王に謁見たまわった。エリゼ宮で、フランス大統領にも勲章をもらい、ベルギー皇帝からも栄誉を授かったのであります」と話し始めたという。藤田の語ったことはすべて真実であったが、伝説では、この話に平野政吉がカチンときて、「世界一というなら世界一の絵を描いて証拠を見せろ」と詰め寄り、藤田が「それなら、世界一の大きさの絵を描いて見せましょう」と言ったのが、「秋田の行事」誕生のきっかけであると伝えられているが、晩年、平野政吉は、実際は、藤田の迫力の前に圧倒されたのが真相であると語っている。二人の間に心の応酬があったとも伝えられるが、「秋田の行事」は、藤田嗣治と平野政吉の固い友情、強い信頼関係の中から生まれたものと見るべきだろう。
     この年の7月以降、藤田は度々秋田を訪れ、平野政吉の美術館建設構想を受け、美術館を飾る壁画を制作することを明らかにした。その後、平野の案内で秋田市内の竿灯、日吉八幡神社山王祭などを見学し、スケッチをするなどした。また、平野は藤田のために、千秋矢留町に別宅を用意し、藤田の長期滞在に備えた。藤田が秋田に訪れるたびに二人は美術館の構想を深めていき、「秋田を第二の奈良に」「正倉院、法隆寺を秋田に拵えるつもりで」「壁画は奈良・東大寺の大仏に匹敵する世界一大きなものに」と話し合われていった。P1010416 平野政吉美術館w480.jpg
     そしていよいよ、昭和12年2月21日、平野政吉の米蔵で後に「秋田の行事」と言われる秋田の全貌を描いた壁画が描かれることになった。藤田は一気に15日間でこの壁画を描き上げた。興が乗った時は三晩位の徹夜も度々あったとのことだ。完成後、藤田は平野に「平野さん、無駄な材料を使わせて申し訳ない」と言って、紫の絵具一個と白の大ビン二個だけを差し出したと言う。平野は最初に藤田から言われた量の絵具を渡しただけだったので、藤田の天才ぶりに改めて関心したと言う。完成後、藤田は「この大きさと時間の記録は、世界が終わるまでまで破られまい」「四百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」と興奮し、語っていたとのことだ。
     「秋田の行事」は、昭和12年当時の秋田の人々の暮らし、竿灯、梵天などの年中行事、祭りが大迫力で描かれ、秋田の産業、歴史まで描かれている作品である。藤田はこの壁画を「秋田の全貌」が直ちに解るように、あらゆる風俗を時代的な意味に従って洩らさず描くという意図で描いた。藤田ならではの線と色彩が融合し、生命力、パッションが画面に溢れている。

     「秋田の行事」は、二人で構想した美術館に飾る壁画として描かれたものである。その後30年の時を経て完成した美術館は、日本宮殿を思わせる屋根の形、正倉院を模した高床式の造りなど藤田嗣治、平野政吉の構想を生かしており、「秋田の行事」は藤田に言われた通りの展示の仕方(注)になっている。
     平野政吉美術館とそこに展示されている「秋田の行事」は、藤田嗣治と平野政吉の交友の歴史を示す証であり、未来にこのままの形で伝える義務が私たちにある。この貴重な文化財を移設によって、価値を壊すようなことがあってはならない。


    (注) 「秋田の行事」は、藤田嗣治の助言により、床から6尺(約1.8メートル)上げた位置に据え付けられ、両端を少しずつ迫り出して据え付けられている。


    <関連記事>
    秋田の文化遺産…平野政吉美術館
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
    美術館と自然光について
    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    美術館建設宣言と「眠れる女」 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    美術館と自然光 … 1
    美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



    関連記事


  •    このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2011.09.21(15:21)|文化||TOP↑
    2012.11.27
     1929年、ニューヨーク・ウォール街で株価が大暴落し、世界恐慌が始まり、華やかな「エコール・ド・パリ」の時代は終焉を告げた。モディリアーニ、ピカソ、パスキンなどともにエコール・ド・パリの一員であった藤田嗣治は、パリを離れ、P1010445 藤田嗣治 600x800 1930年にアメリカ、ニューヨーク、シカゴを訪れたのを始め、1931年から2年掛けて、4番目の妻となったマドレーヌ・ルクーとともに、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、キューバ、メキシコの中南米とアメリカ西部を訪れるなど「旅の時代」を迎えることになった。藤田はペルーのインカ帝国、マチュピチュ遺跡や、メキシコのアステカやマヤの古代遺跡などを訪れ、感銘を受けたが、この旅を通じて、藤田嗣治の画風は大きく変化し、パリ時代からの大きな転換期ともなった。パリ時代の「乳白色の下地」、白と黒の色調や繊細な黒の輪郭線の描写から、赤、黄、青、緑など多彩な色彩の描写へと変化した。藤田が目にしたヨーロッパとは異なる文化が、画風に変化を及ぼし、メキシコでは、現地の画家、ホセ・オロスコが制作した大壁画を見て深く感銘を受けた。この「中南米の旅」を終え、藤田は帰国後、東京、大阪、京都で壁画制作に挑み、一連の壁画制作の集大成として大壁画「秋田の行事」誕生へと繋がっていったのである。
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示、公開されている「秋田の行事」は制作当時、大きさが世界一で、僅か15日間で描かれたことだけではなく、藤田嗣治が「中南米の旅」を終え、画風が変化した時期の集大成と言える重要な作品である。
     「秋田の行事」の画面にある人々の生き生きとした躍動感溢れる描写や豊かな色彩表現は「中南米の旅」を通じて生まれたものでもある。

     また、「秋田の行事」に見られるスピード感、構成力、色彩感覚などは藤田芸術の一つの到達点を示していると言える。
     
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、「秋田の行事」を展示することを主目的に、制作依頼主であり、藤田の最大の支援者であった平野政吉が建てた美術館である。末永く後世に伝え、これからもこの由緒ある美術館の空間で「秋田の行事」を鑑賞していくべきである。
     


    ※ 秋田県立美術館、2階で「藤田嗣治の旅―中南米のエネルギーとコスモロギー」が開催されています。(6月17日まで)




    <お薦め記事>
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
    美術館と自然光について
    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    美術館建設宣言と「眠れる女」 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合
    失われた「秋田の文化」 … 藤田嗣治「優美神」
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    平野政吉が語った藤田嗣治作品の魅力
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



    関連記事


  •    このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2012.11.27(18:30)|文化||TOP↑
    2012.12.20
     藤田嗣治の「秋田の行事」は、20メートルの巨大なキャンバスに、慎ましさの中に温かさのある秋田の冬の暮らしと熱気溢れる秋田の祭り、年中行事を描いた大壁画である。
     藤田嗣治は「随筆集 地を泳ぐ」(1942年、書物展望社[復刻:1984年、講談社])の中で、「嬉しい吾が郷土にのみ誇り得る純情さが この厚い雪のお蔭で埋れて 当分は保有されていくであろう」と秋田への思いを語っている。
     藤田は半年かけて秋田を取材し、構想を練り上げ、「秋田の全ぼうが直ちに解る様に、あらゆる風俗又その時代的な意味に従って洩らさず描くつもりである」(「夕刊秋田」1936年《昭和11年》11月18日)と大壁画制作への意気込みを語った。
     制作依頼主である平野政吉は、完成した「秋田の行事」の展示の仕方について、藤田嗣治から細かいアドバイスを受けている。

    P1010416 平野政吉美術館w480.jpg ― 壁画は 床から6尺(約1.8メートル)の位置に上げること、両端を少しずつせり出して据え付けること ―

     実は、このアドバイスには藤田嗣治の狙いがあった。

     「秋田の行事」の正面に立つと観る者は、迫力に包まれ、高揚した気持ちを感じる。
     この絵の構図に着目してみると、

     まず、画面の右側に描かれた日吉八幡神社山王祭の屋台は右奥へと続き、その隣の太平山三吉神社の梵天祭りでも男達が階段を右上方へと一直線に進んでいる。
     中央の竿灯祭りでは、敢えて竿灯を下から見る構図で描いており、花笠の棹が後方へと倒れ、視線は上方、後方へと向かい、奥行きが感じられる。
     祭りと日常の暮らしの境には、藤田が「太古の音がする」と話した香爐木橋(こうろぎばし)が描かれ、その左側の画面を見ると、人物や馬などが左奥へと繋がって描かれている。雪室の入口も中央に向い、視線は左奥へと向かう。
     言うなれば、この巨大壁画の正面に立つと、絵は左右奥、正面上方へと広がりを持って見えるよう構図が取られており、観る者は三次元的な空間に包まれ、臨場感を体感するのだ。
     この奥行き感、臨場感こそ、藤田の狙いであり、そのための最善の展示方法を藤田は平野政吉に助言していたのだ。
     また、「香爐木橋」は奈良時代に古代秋田城があった高清水丘陵を示しており、藤田は古への時空の奥行きも表現したのかも知れない。

     15日間、朝8時から夜の8時まで、毎日12時間。恐るべき集中力と驚異的なスピードで藤田は「秋田の全貌」を描き、後に「秋田の行事」と呼ばれる巨大壁画を完成させた。
     そこには、練り上げられた構図の構想があったようだ。

     この「秋田の行事」の奥行き感、臨場感を最も良く伝えてくれるのが、平野政吉美術館(現県立美術館)である。展示室の広さは500平方メートル、天井高が18メートルもあり、屋根の丸窓からは、柔らかく天然光が入り、空間の広がりを感じることができる。(注)
     大壁画「秋田の行事」の迫力を最も良く伝えるこの展示空間は、これからも「秋田の行事」の展示、鑑賞の場として、次代の人々のために末永く残して行くべきである。


    (注)今年6月に完成した、新秋田県立美術館の展示室は、広さ440平方メートル、高さ7メートル(推定)と、現県立美術館(平野政吉美術館)より、かなり狭い。

    (参考テレビ番組 : 美の巨人たち 「 藤田嗣治 秋田の行事 」 《テレビ東京》)




    <お薦め記事>
    藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」誕生 … 平野政吉と藤田嗣治の美術館建設構想
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
    美術館と自然光について
    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    美術館建設宣言と「眠れる女」 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合
    失われた「秋田の文化」 … 藤田嗣治「優美神」
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    平野政吉が語った藤田嗣治作品の魅力
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



    関連記事


  •    このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2012.12.20(02:00)|文化||TOP↑
    2014.07.20
     藤田嗣治(レオナール・フジタ)が1937年(昭和12年)に、制作依頼主である平野政吉の米蔵で描いた大壁画「秋田の行事」は縦3.65メートル、横20.5メートルの大きさがあり、制作当時世界一と言われた。しかも、藤田は僅か15日間という驚異的な速さ、集中力でこの作品を描き上げた。
     藤田は「秋田の全貌」を漏らさず描くという意図を持って壁画を描き、画面には昭和12年当時の秋田の冬の日常生活、夏の竿灯祭り、冬の太平山三吉神社の梵天祭り、秋の日吉八幡神社山王祭などが描かれ、人々の生き生きとした情景が描かれている。この作品が「秋田の行事」と呼ばれるようになったのは、昭和50年代以降のようである。昭和40年代発行の書籍の中では「秋田の四季」の名で呼ばれており、「秋田年中行事太平山三吉神社祭礼の図」と記述された図録もある。
     この作品の一番の魅力は、藤田嗣治が僅か15日間で描いたとは思われない作品の出来映え、完成度である。藤田嗣治は速筆で知られ、繊細な黒い線描も無念無想の気持ちで線の流れ出すままに任せて一気に描く技術を持っていたが、そのスピード感、才能が顕著に発揮されているのが「秋田の行事」である。パリ時代の乳白色の地肌、モノトーン調の画風から、中南米での2年間の旅行を経て、多彩な色彩表現へと変化し、帰国後、藤田は日本各地で「壁画」制作に挑んだが、その集大成と言えるのが「秋田の行事」である。P1010437_01 平野美術館(5月)-2
     画面に描かれた人々を見ると、人々は活気に溢れ、生き生きとしている。描かれている人物の一人一人が主役のように見える。藤田の鋭い観察力、卓越した表現力が感じられる。「秋田の行事」が展示されている平野政吉美術館の大展示室には藤田が二科展に出品した大作「北平の力士」(1935年)、「自画像」(1936年)なども展示されているが、それらと全く変わらぬ出来映えの大壁画である。
     また、画面には霊峰太平山、高清水丘陵の香爐木橋(こうろぎばし)、箱橇、馬橇、雪室、米俵、木材、酒樽、石油櫓などの秋田の風物が、まるで秋田人が描いたかと思わせるほど詳細に描かれている。
     藤田嗣治の作品には、子供を題材にしたものも多いが、「秋田の行事」の中でも雪室に遊ぶ子供たち、凧(秋田べらぼう凧)を持った子供などが表情豊かに生き生きと描かれいる。
     また、藤田は緻密な布の描写でも知られているが、「秋田の行事」においても、人々が纏う縞木綿、絣、野良着などの着物を細密に、布の質感まで描き出している。藤田は壁画制作の参考のために秋田の着物を多数購入していたとのことだ。

     「秋田の行事」の前に立つと観る者は迫力を感じる。この絵は床から約1.8メートルの位置に上げられ、両端が少しずつ迫り出して据えられている。上方からは柔らかな自然光が降り注いでいる。これらは、平野政吉が、藤田嗣治から直接助言を受けたことによるものだ。この事実は複数の新聞、書籍で明らかになっている。藤田がこの絵に最適な展示の仕方をアドバイスしてくれたのだ。(注)

     また、この「秋田の行事」を展示している平野政吉美術館の大展示室は、広さが550平方メートル、高さが4階ほどの18メートルある。この大空間で観ればこそ、迫力を感じることができるのだ。在り来たりの空間では、同様の迫力を感じることは不可能だろう。

     「秋田の行事」を始めとした藤田嗣治作品の展示に最も相応しいのは、作品の寄贈者である平野政吉が、藤田嗣治の助言を忠実に守り、建てた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)であり、この美術館を末永く後世に伝えるべきである。



    <追記> 2013.9.1
     藤田嗣治(レオナール・フジタ)作の大壁画「秋田の行事」は、8月31日、合理的な理由もなく建設された、200メートル離れた場所にある新県立美術館に移設されました。
     「秋田の行事」は、藤田嗣治と平野政吉の交友の歴史を刻んだ現秋田県立美術館(平野政吉美術館)で観るべき壁画であり、藤田が助言したこの大空間の展示室を末永く後世に伝えるべきである。


    (著者注) 新県立美術館での展示では、藤田が「壁画」のために助言した「自然光」による採光形式から、人工照明(LED)に変えられています。

    ( 本記事は、平野政吉美術館の大展示室で観た「秋田の行事」について、記述しております。 新県立美術館における展示は、印象が異なります。 )


    <参考記事>
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]

    平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶


    <関連記事>
    レオナール・フジタ(藤田嗣治)に大壁画「秋田の行事」を描かせた、秋田の傑人・平野政吉
    藤田嗣治が語った「壁画」と、「秋田の行事」、平野政吉のトロッコ構想
    藤田嗣治「秋田の行事」の構図と奥行き感、臨場感
    藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」誕生 … 平野政吉と藤田嗣治の美術館建設構想
    藤田嗣治画伯の「秋田の行事」の移設は、「文化の創造」と言えるか?


    <注目記事>
    藤田嗣治、随筆の中で、歴史的建造物を遺すことの重要性を語る ~ 県立美術館・平野政吉美術館にも当て嵌まる言葉 ~
    新県立美術館建設のコンセプト、「『秋田の行事』を再開発地区のにぎわい創出につなげたい」は、藤田嗣治が否定!~「実に、絵画を、侮辱した話」
    地元紙、藤田嗣治の言葉を「秋田の行事」に誤用 ― 実は昭和10年銀座コロンバン天井画の完成の際に記述した文である。
    懸念される新県立美術館での藤田嗣治「秋田の行事」の展示
    「秋田の行事」引っ越し関連に、8996万円の県費支出 ― 果たして移転する必要があったのか。


    <お薦め記事>
    藤田嗣治の壁画「秋田の行事」が描かれた時代の背景 ~ 一体感を持つ「平野政吉美術館」






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



    関連記事


  •    このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2014.07.20(06:00)|文化||TOP↑
    プロフィール

    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

    カレンダー
    04 | 2017/05 | 06
    - 1 2 3 4 5 6
    7 8 9 10 11 12 13
    14 15 16 17 18 19 20
    21 22 23 24 25 26 27
    28 29 30 31 - - -
    ブログランキング

    ブログランキング・にほんブログ村へ

    お知らせ
    ※ 最近、当ブログ著者執筆の当ブログ記事を、自サイトに大量に無断転載した者がおりました。皆様ご注意ください。

    ※ 該当者は直ちに該当箇所を削除してください。
    全記事表示リンク
    最新記事
    My Yahoo ! Add to Google
    My Yahoo!に追加

    Add to Google

    Twitter
    リンク
    メール
    サイト内ランキング
    リンク
    タグ

    平野政吉美術館 アッツ島玉砕 大壁画「秋田の行事」 平野政吉 蓮の花と千秋公園の堀 平野政吉コレクション 平野政吉美術館の風景(春) 平野政吉と藤田嗣治の歴史 平野政吉のトロッコ構想 平野政吉のエピソード 自然光 乳白色の肌 平和の聖母礼拝堂 平野政吉と藤田嗣治の美術館建設構想 晩秋 初冬 平野政吉美術館の風景(秋) 藤田嗣治「秋田の行事」 平野政吉美術館と一体の藤田作品 千秋公園穴門の堀 穴門の堀 随筆集「地を泳ぐ」 壁画時代 藤田嗣治「中南米の旅」 藤田嗣治芸術の到達点 藤田嗣治「優美神」 マドレーヌ 秋田県立美術館(平野政吉美術館)地鎮祭・定礎式 秋田の四季 秋田の文化遺産 羽織袴姿の平野政吉 平野政吉美術館の設計 新緑の中の平野政吉美術館 平野政吉美術館の採光 審美眼 平野政吉美術館開館 レオナール・フジタ「秋田の行事」 稀有なる先人・平野政吉 藤田嗣治のパトロン平野政吉 レオナール・フジタ「平和の聖母礼拝堂」 千秋公園の掘 平野政吉が語った藤田嗣治作品 藤田嗣治「カーニバルの後」 藤田嗣治と平野政吉の友情 藤田嗣治と秋田 藤田嗣治と平野政吉 レオナール・フジタ フレスコ壁画 藤田嗣治「秋田の行事」の奥行き感 レオナール・フジタに大壁画「秋田の行事」を描かせた 藤田嗣治最後の作品 平野政吉美術館の丸窓 冬晴れの中の平野政吉美術館 秋田県立美術館(平野政吉美術館)開館 お知らせ 現代壁画論 平野政吉コレクション藤田嗣治作品第一号 「平野政吉美術館の移転理由は何か」についてのお知ら 雪中の平野政吉美術館 秋田県立美術館(平野政吉美術館)竣工写真 藤田嗣治の日記 平野政吉と藤田嗣治、18年ぶりの再会 千秋公園大手門の堀 オランジュリー美術館 平野政吉と飛行機 秋田の行事 藤田嗣治「眠れる女」 新緑 平野政吉美術館の風景 藤田嗣治の美術館建設宣言 岡本太郎「明日の神話」 藤田嗣治 春の訪れと平野政吉美術館 平野政吉美術館(秋田県立美術館)建設 文化遺産 裏日本 財団法人平野政吉美術館 哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘 「秋田の行事」の魅力 「壁画について」と秋田の行事 平野政吉と藤田嗣治の出会い 蓮の花と平野政吉美術館 千秋公園大手門の堀(秋) 大手門の堀 クロード・モネ「睡蓮」 壁画「大地」 晩秋の平野政吉美術館 銀座コロンバン天井画 藤田嗣治「秋田の行事」の構図 蓮の花 散逸した秋田の文化遺産 壁画 平野政吉美術館の展示 平野政吉美術館の風景(冬) 水面に映る平野政吉美術館 平野政吉の業績 藤田嗣治作品の魅力 平野政吉の思い 藤田嗣治「北平の力士」 厳寒の中の平野政吉美術館 藤田嗣治の戦争画 藤田嗣治「自画像」 千秋公園 サイパン島同胞臣節を全うす 平野政吉美術館の採光形式 平野政吉と藤田嗣治 千秋公園のつつじ 春の訪れ 秋田 冬晴れ 美術館と自然光 都市公園、千秋公園 「秋田の行事」の展示状況 平野政吉美術館の建設 藤田嗣治の助言 秋田県立美術館(平野政吉美術館)工事写真 平野政吉の美術館建設の夢 大壁画「秋田の行事」誕生 桜花と平野政吉美術館 合理性に乏しい平野政吉美術館の移転理由 春光 平野政吉美術館の風景(夏) 冬の平野政吉美術館 藤田嗣治が語った壁画 中土橋 雪に埋もれる町 クロード・モネ 岡本太郎 浮世絵と藤田嗣治 秋田年中行事太平山三吉神社祭礼の図 蓮の花と千秋公園 壁画「秋田の行事」 大手門の堀(冬) つつじ 秋田の全貌 初冬の平野政吉美術館 紫陽花 紅葉 平野政吉美術館の移転理由 丸窓 藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」 

    月別アーカイブ
    RSSリンクの表示
    FC2ブログランキング
    フリーエリア
    FXプライム
    hatenaブックマーク
    Akita Column
    このブログをリンクに追加する
    お知らせ
    ※ 掲載の記事、写真等の無断転載を禁止します。

    ※ 最近、掲載記事を自サイトに無断転載した者がおりました。
     無断転載を固く禁止します。
    QRコード
    QR
    Powered By FC2ブログ

    今すぐブログを作ろう!

    Powered By FC2ブログ