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2012.12.20
 藤田嗣治の「秋田の行事」は、20メートルの巨大なキャンバスに、慎ましさの中に温かさのある秋田の冬の暮らしと熱気溢れる秋田の祭り、年中行事を描いた大壁画である。
 藤田嗣治は「随筆集 地を泳ぐ」(1942年、書物展望社[復刻:1984年、講談社])の中で、「嬉しい吾が郷土にのみ誇り得る純情さが この厚い雪のお蔭で埋れて 当分は保有されていくであろう」と秋田への思いを語っている。
 藤田は半年かけて秋田を取材し、構想を練り上げ、「秋田の全ぼうが直ちに解る様に、あらゆる風俗又その時代的な意味に従って洩らさず描くつもりである」(「夕刊秋田」1936年《昭和11年》11月18日)と大壁画制作への意気込みを語った。
 制作依頼主である平野政吉は、完成した「秋田の行事」の展示の仕方について、藤田嗣治から細かいアドバイスを受けている。

P1010416 平野政吉美術館w480.jpg ― 壁画は 床から6尺(約1.8メートル)の位置に上げること、両端を少しずつせり出して据え付けること ―

 実は、このアドバイスには藤田嗣治の狙いがあった。

 「秋田の行事」の正面に立つと観る者は、迫力に包まれ、高揚した気持ちを感じる。
 この絵の構図に着目してみると、

 まず、画面の右側に描かれた日吉八幡神社山王祭の屋台は右奥へと続き、その隣の太平山三吉神社の梵天祭りでも男達が階段を右上方へと一直線に進んでいる。
 中央の竿灯祭りでは、敢えて竿灯を下から見る構図で描いており、花笠の棹が後方へと倒れ、視線は上方、後方へと向かい、奥行きが感じられる。
 祭りと日常の暮らしの境には、藤田が「太古の音がする」と話した香爐木橋(こうろぎばし)が描かれ、その左側の画面を見ると、人物や馬などが左奥へと繋がって描かれている。雪室の入口も中央に向い、視線は左奥へと向かう。
 言うなれば、この巨大壁画の正面に立つと、絵は左右奥、正面上方へと広がりを持って見えるよう構図が取られており、観る者は三次元的な空間に包まれ、臨場感を体感するのだ。
 この奥行き感、臨場感こそ、藤田の狙いであり、そのための最善の展示方法を藤田は平野政吉に助言していたのだ。
 また、「香爐木橋」は奈良時代に古代秋田城があった高清水丘陵を示しており、藤田は古への時空の奥行きも表現したのかも知れない。

 15日間、朝8時から夜の8時まで、毎日12時間。恐るべき集中力と驚異的なスピードで藤田は「秋田の全貌」を描き、後に「秋田の行事」と呼ばれる巨大壁画を完成させた。
 そこには、練り上げられた構図の構想があったようだ。

 この「秋田の行事」の奥行き感、臨場感を最も良く伝えてくれるのが、平野政吉美術館(現県立美術館)である。展示室の広さは500平方メートル、天井高が18メートルもあり、屋根の丸窓からは、柔らかく天然光が入り、空間の広がりを感じることができる。(注)
 大壁画「秋田の行事」の迫力を最も良く伝えるこの展示空間は、これからも「秋田の行事」の展示、鑑賞の場として、次代の人々のために末永く残して行くべきである。


(注)今年6月に完成した、新秋田県立美術館の展示室は、広さ440平方メートル、高さ7メートル(推定)と、現県立美術館(平野政吉美術館)より、かなり狭い。

(参考テレビ番組 : 美の巨人たち 「 藤田嗣治 秋田の行事 」 《テレビ東京》)




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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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  • 2012.12.20(02:00)|文化||TOP↑
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    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

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