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2013.04.24
 1968年2月、パリに一人の日本人が訪れた。日本古来の伝統的な紋付羽織袴姿で訪れたその人こそ、秋田からレオナール・フジタ(藤田嗣治)の葬儀に参列するためにやってきた平野政吉であった。フジタの葬儀はランスのノートルダム大聖堂で盛大に執り行われた。1934年(昭和9年)、東京都内の美術展で出会って以来、交友のあった平野政吉と藤田嗣治にとって最後の別れとなった。平野政吉は、藤田嗣治作品の収集家、パトロンとして、フランスにおいても有名であり歓迎された。
 「もう、先生の作品を購入できなくなった」 平野政吉は悲しみ嘆いた。
 平野政吉はその2年前、1966年(昭和41年)5月に、パリ郊外のヴィリエ・ル・バークルに住むフジタを訪ねていた。二人にとって念願であった美術館建設の報告のためであった。平野は完成する美術館へフジタを招待したが、高齢を案じた夫人の反対で実現しなかった。しかし、その時、美術館の採光形式について、貴重なアドバイスをしてもらっていた。
blog_import_4f812ceaf1b1a 平野政吉美術館の採光-2
 「美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」注、7月29日の記事参照
 フジタは、自らの画業の集大成としてランスで「平和の聖母礼拝堂」の設計、壁画、彫刻、ステンドグラスの制作に取り組んでいたが、美術館の採光をその「平和の聖母礼拝堂」と同じ採光の形式にするよう、平野政吉に託したのであった。
 「私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ」 平野政吉はそう語っている。注、7月29日の記事参照
 フジタの遺体は紆余曲折の末、2003年より、ランス「平和の聖母礼拝堂」に移され、永眠している。「終生の舞台とした(フジタ)礼拝堂の中で眠るつもりだ」と記した日記が発見されたためであった。 (注、11月15日の記事参照
 フジタが永遠の眠りにつく「平和の聖母礼拝堂」と平野政吉美術館はフジタの助言によって、思いが結びつき、平野政吉美術館の丸窓から降り注ぐ自然光は、レオナール・フジタ(藤田嗣治)の尊い、最後の思い、願いそのものであるように著者には感じられる。


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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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  • 2013.04.24(03:07)|文化||TOP↑
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    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
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