<< topページへ
TOP
2012.03.09
 藤田嗣治(レオナール・フジタ)が生前書いた日記が、3年前(2009年)に亡くなった君代夫人の相続人から、藤田の出身校、東京芸術大学に寄贈され、研究が進められていると言う。日記は、1930年から亡くなった1968年までのものがあり、一部を除きほとんど存在が知られなかった貴重な資料だとのことだ。秋田の藤田嗣治ファンとしては、藤田嗣治作品の収集家でパトロンであった平野政吉との交友に関する知られざる事実や大壁画「秋田の行事」制作当時の藤田の心象風景、壁画制作の意図などについて、1967年(昭和42年)に建設された現県立美術館(平野政吉美術館)の建設に纏わる新事実などについてが書き残されているかも知れないと期待感を持っている。P1010213 平野美術館(2月)800x600
 平野政吉との交友の詳細、美術館建設の経緯や藤田の関わりがさらに具体的に分れば、現県立美術館(平野政吉美術館)の歴史的建造物としての価値が一層高まるに違いないと思われる。この美術館から魂である藤田嗣治の作品を引き離すことなど考えられないはずである。
 藤田嗣治が書き残した「随筆集 地を泳ぐ」(1942年、書物展望社[復刻:1984年、講談社])の中に、秋田について記述された部分がいくつかある。
 「裏日本」の頁では、昭和10年(1935年)夏に秋田を初めて旅行で訪れたことが語られ、秋田、男鹿半島、大館、十和田湖、毛馬内を旅したことが書かれている。「私の義兄の生国だけに殊更に興味が持てる」「名物のショッツル鍋を美味しいと思った」「(この旅行を通じて)裏日本が好きになった」などと記述されている。
 「雪に埋もれる町」の頁では、横手、大曲から角館を訪れ、冬の日を送ったことについて書かれ、「想い出に深い頁を綴じ込んだ」と語っている。 
 「吾が国の伝統の美しさ、郷土の質朴さ、清く澄み透すこの人々の心は、戸外の一丈にも余る雪の肌の様に純であり貴いのである」
 「嬉しい吾が郷土にのみ誇り得る、純情さがこの厚い雪のお蔭で埋れて、当分は保有されて行くであろう」
と語り、旅の宿での人々の心温まるもてなし、純情さ、質朴さ、城下町の名残りの匂わす風情などが東京から来た私の心の真髄を休ませてくれた、思い出深い旅であったと記している。

 今後、研究が進む藤田の日記の中にも、藤田の生涯の中での秋田との関わりや「随筆集 地を泳ぐ」に記述されているような「秋田への思い」が書き残されているのかも知れない。
 藤田嗣治が描いた大壁画「秋田の行事」を収蔵している平野政吉美術館(現秋田県立美術館)も藤田嗣治と秋田との関わりを現代に伝える貴重な文化遺産であり、末永く後世に伝えるべきである。




〈最新お薦め記事〉
18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合


<関連記事>
秋田の文化遺産…平野政吉美術館
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
美術館と自然光について
平野政吉のエピソード
平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
千秋公園の景観に溶け込む平野政吉美術館
平野政吉美術館の移転理由は何か 1
平野政吉美術館の移転理由は何か 2
平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
美術館建設宣言と「眠れる女」 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合




スポンサーサイト


        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



関連記事
平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



関連記事


  •    このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2012.03.09(22:45)|文化||TOP↑
    プロフィール

    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

    カレンダー
    05 | 2017/06 | 07
    - - - - 1 2 3
    4 5 6 7 8 9 10
    11 12 13 14 15 16 17
    18 19 20 21 22 23 24
    25 26 27 28 29 30 -
    ブログランキング

    ブログランキング・にほんブログ村へ

    お知らせ
    ※ 最近、当ブログ著者執筆の当ブログ記事を、自サイトに大量に無断転載した者がおりました。皆様ご注意ください。

    ※ 該当者は直ちに該当箇所を削除してください。
    全記事表示リンク
    最新記事
    My Yahoo ! Add to Google
    My Yahoo!に追加

    Add to Google

    Twitter
    リンク
    メール
    サイト内ランキング
    リンク
    タグ

    新緑 秋田県立美術館(平野政吉美術館)地鎮祭・定礎式 散逸した秋田の文化遺産 平野政吉美術館の建設 平野政吉と藤田嗣治の歴史 平野政吉美術館の風景(秋) 浮世絵と藤田嗣治 レオナール・フジタ 春光 審美眼 藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」 現代壁画論 春の訪れと平野政吉美術館 平野政吉と飛行機 大手門の堀 藤田嗣治「優美神」 岡本太郎「明日の神話」 藤田嗣治最後の作品 秋田の四季 蓮の花と平野政吉美術館 秋田県立美術館(平野政吉美術館)工事写真 晩秋 秋田年中行事太平山三吉神社祭礼の図 秋田県立美術館(平野政吉美術館)竣工写真 平野政吉 大手門の堀(冬) 大壁画「秋田の行事」 壁画時代 アッツ島玉砕 裏日本 藤田嗣治「北平の力士」 晩秋の平野政吉美術館 千秋公園大手門の堀(秋) 羽織袴姿の平野政吉 「秋田の行事」の魅力 藤田嗣治と平野政吉の友情 藤田嗣治のパトロン平野政吉 秋田県立美術館(平野政吉美術館)開館 平野政吉美術館の採光形式 平野政吉美術館の風景(春) 稀有なる先人・平野政吉 平野政吉美術館の設計 平野政吉コレクション藤田嗣治作品第一号 藤田嗣治の美術館建設宣言 平野政吉コレクション 藤田嗣治「自画像」 美術館と自然光 藤田嗣治「秋田の行事」の奥行き感 藤田嗣治の助言 千秋公園の掘 秋田の全貌 平野政吉美術館の風景 レオナール・フジタ「秋田の行事」 藤田嗣治「カーニバルの後」 平野政吉の思い 水面に映る平野政吉美術館 レオナール・フジタ「平和の聖母礼拝堂」 初冬 蓮の花と千秋公園の堀 大壁画「秋田の行事」誕生 春の訪れ お知らせ 平野政吉美術館と一体の藤田作品 合理性に乏しい平野政吉美術館の移転理由 平野政吉と藤田嗣治の美術館建設構想 藤田嗣治芸術の到達点 乳白色の肌 クロード・モネ「睡蓮」 壁画 サイパン島同胞臣節を全うす 冬晴れの中の平野政吉美術館 平野政吉と藤田嗣治の出会い 桜花と平野政吉美術館 藤田嗣治が語った壁画 自然光 「平野政吉美術館の移転理由は何か」についてのお知ら 蓮の花 平野政吉美術館の風景(夏) 「秋田の行事」の展示状況 フレスコ壁画 藤田嗣治の戦争画 つつじ 丸窓 クロード・モネ 冬の平野政吉美術館 中土橋 平野政吉と藤田嗣治、18年ぶりの再会 オランジュリー美術館 壁画「大地」 穴門の堀 藤田嗣治「秋田の行事」の構図 平野政吉の業績 千秋公園のつつじ 秋田 都市公園、千秋公園 厳寒の中の平野政吉美術館 平野政吉美術館 藤田嗣治と秋田 蓮の花と千秋公園 紫陽花 藤田嗣治 千秋公園 随筆集「地を泳ぐ」 新緑の中の平野政吉美術館 藤田嗣治作品の魅力 「壁画について」と秋田の行事 平野政吉美術館の丸窓 平野政吉のトロッコ構想 藤田嗣治「秋田の行事」 秋田の行事 文化遺産 平野政吉美術館の移転理由 平野政吉美術館の採光 壁画「秋田の行事」 平野政吉が語った藤田嗣治作品 平野政吉美術館開館 紅葉 雪に埋もれる町 秋田の文化遺産 岡本太郎 雪中の平野政吉美術館 平野政吉美術館(秋田県立美術館)建設 レオナール・フジタに大壁画「秋田の行事」を描かせた 平野政吉の美術館建設の夢 藤田嗣治「眠れる女」 銀座コロンバン天井画 平野政吉と藤田嗣治 平和の聖母礼拝堂 千秋公園大手門の堀 藤田嗣治「中南米の旅」 藤田嗣治の日記 初冬の平野政吉美術館 財団法人平野政吉美術館 マドレーヌ 平野政吉美術館の展示 平野政吉美術館の風景(冬) 哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘 藤田嗣治と平野政吉 冬晴れ 平野政吉のエピソード 千秋公園穴門の堀 

    月別アーカイブ
    RSSリンクの表示
    FC2ブログランキング
    フリーエリア
    FXプライム
    hatenaブックマーク
    Akita Column
    このブログをリンクに追加する
    お知らせ
    ※ 掲載の記事、写真等の無断転載を禁止します。

    ※ 最近、掲載記事を自サイトに無断転載した者がおりました。
     無断転載を固く禁止します。
    QRコード
    QR
    Powered By FC2ブログ

    今すぐブログを作ろう!

    Powered By FC2ブログ