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2011.08.05
 蓮の花咲く千秋公園の堀を前景にして眺める平野政吉美術館の風景をご紹介します。
 (2011年7月31日撮影)
 桜とつつじの名所、秋田市民の憩いの場所である千秋公園の風景の中でこの時期のお堀の蓮の花、その中に佇む平野政吉美術館(秋田県立美術館)の風景が好きだと言う市民は多い。
 この美術館のある風景は、秋田の財産として残していきたいものです。

P1010441○蓮の花と千秋公園800x600.jpg



P1010477 蓮の花と千秋公園800x600.jpg



P1010487 ○蓮800x600.jpg



P1010468 蓮の花と平野政吉美術館600x800.jpg



P1010466 蓮と堀800x600.jpg




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美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合




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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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  • 2011.08.05(17:00)|文化||TOP↑
    2011.08.27
     先日、当ブログの記事の一部を転載し、自分の感想を記した文を投稿したサイトがありました。それは、当ブログの「平野政吉美術館の移転理由は何か 1」にある

     「財団法人平野政吉美術館が平野政吉美術館の移転要請をされたのは、2007年(平成19年)11月であったが、主な移転理由は、平野美術館にある藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を再開発地区の集客の目玉にしたい。現美術館が老朽化し10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要となる。県財政が厳しく、10年後の改修費の確保が困難になる可能性があり、今回移転したほうがよいなどであった。」

    という部分を転載して取り上げ、ハコモノ行政、土木行政そのものではないかという自説を論じたものでした。当ブログでは、記事をお読み頂ければお分かり頂けますように、移転理由と言われるものをよく考えれば、合理的な理由に乏しく、真の理由は他に存在するということをお伝え致しております。その点をご考慮、ご理解のうえ、記事をお読み頂きますようよろしくお願い致します。尚、新規に構成した記事も投稿しましたのでよろしくお願い致します。





            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2011.08.27(01:55)|お知らせ||TOP↑
    2011.08.27
     2007年(平成19年)11月、財団法人平野政吉美術館は平野政吉美術館の移転要請をされたが、主な移転理由とされたものは、平野美術館にある藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を再開発予定地区の目玉にしたい。現美術館が10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要となる。県の財政上の理由から今回移転したほうがよいなどであった。

     まず、「秋田の行事」を再開発予定地の目玉にという話であるが、現美術館と新美術館建設予定地は、僅か200メートルしか離れていない。しかも、現在地のほうが、秋田市で一番の観光名所、千秋公園の入口にあり、集客面でも優位にある。P1010416平野美術館800x600
    わざわざ商業地帯の再開発予定地区に移転しなければならない合理的理由は見当たらない。また、現在、平野政吉美術館(現秋田県立美術館)に展示されている「秋田の行事」は、床から6尺(約1.8メートル)の位置に据えること、両端を迫り出して据えること(アールを付けること)を藤田嗣治から直接助言を受け展示しており、美術館自体が「秋田の行事」を展示、鑑賞することを主目的に建設されている。「秋田の行事」を鑑賞するうえで、最高の展示状況にあると言える。この美術館から「秋田の行事」を移設しなければならない合理的理由があるのだろうか。また、「秋田の行事」に限らず藤田嗣治の作品を集客目的に考える発想は疑問視される。

     次に10年以内の耐震補強ための大規模改修が必要であるとのことだが、建物の耐震診断さえ実施しなかったし、現在の耐震技術では東京都台東区の国立西洋美術館や神奈川県箱根町のポーラ美術館が採用している建物の揺れを軽減させる「免震構造」という技術もあるが、一切検討しなかった。また、昨年2月と今年2月の県議会において、知事は「現美術館の文化施設など美術館以外の活用も可能だ」と発言している。美術館としては使用できず、他の文化施設なら可能であるという合理的理由がどこにあるのだろうか。

     県の財政上の理由から、10年後の改修費確保が困難になる可能性があるとの説明があったが信じ難い話である。当初、今回移転した場合、県有地との相殺により県の支出はほとんどないと説明していたものが、昨年の議会では9億2千万円の支出に変わったが、計画の中止はおろか見直しや再検討さえされなかった。著名建築家に設計を依頼したために数億円の設計費が掛かり、移転宣伝費にも多額の県費が使われている。移転が財政上有利だという説明は、真の理由ではなかったようだ。 

    P1010412蓮800x600.jpg また、近年、東京などで開催された藤田嗣治巡回展に比べ、平野美術館の入館者が少ないことを問題視し、移転が必要だという議論もあったが、首都圏と秋田県の人口比較からも分かるように (詳しくは、7月16日の記事をお読みください)平野政吉美術館の入館者が少ないとは言えないはずである。
     没後40年レオナール・フジタ展など、藤田嗣治の全国巡回展が多くの観客を動員したのは、全国紙新聞社、全国ネットのテレビ局が主催し、多くの大企業の協賛、外務省やフランス大使館などの後援を得るなど総力を挙げて企画された展示会であったからである。秋田県単独では規模も限定され、全国の美術ファンを引き付けることはできないだろう。また、単発的な効果しかない企画展より、しっかりとした理念を持った常設展の展示の充実を計ることが美術館の魅力にとって重要なはずだ。

     平野政吉美術館の移転理由とされるものは、すべて合理性に乏しいものである。この移転計画は、平野美術館を移転させ、跡地に他の施設(千秋公園内の某施設)を移転させることを念頭に画策したものであることが、当初より明らかになっている。当時の秋田市長(現県知事)も2007年(平成19年)9月の市議会において、この施設の改築について、「県立美術館跡地における改築も視野に、別途検討を要する」と発言している。現在では、平野美術館の建物を残すべきだと言う市民、県民の声の高まりによって、方向を変え、平野美術館の建物だけを残し、建物に他の施設を移そうという目論見に変わっているようだ。(県議会において、千秋公園内の某施設、美人会館の名が出されている)
     このような移転計画は人間としての道義に反するものとは言えないか。

    P1010425窓800x600.jpg 平野政吉美術館は、藤田嗣治の作品を始めとした美術品の収集に全生涯を懸け、生まれ育った「ふるさと秋田」の地に収集した作品を残そうとした平野政吉の人生の終着駅であり、集大成である。美術館の屋根にある採光のための丸窓は藤田嗣治の助言を忠実に守ったためであると平野政吉は複数の新聞、雑誌で証言している。そして、この美術館にはレオナール・フジタ(藤田嗣治)が最後に制作したフランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じるフジタの尊い思いが込められている(注)。

     平野政吉美術館はこれまで通り、平野政吉が生涯を懸け収集した「秋田の行事」を始めとした藤田嗣治の作品を展示、公開する美術館であり続けることが、最善の方法であり、唯一の道である。また、それによって、秋田の世界に誇れる文化遺産としての価値をさらに高めるに違いない。


    (注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。


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    理由のない美術館移転、誰のため? 何のため?

    (タグ)平野政吉美術館の移転理由






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
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     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
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     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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  • 2011.08.27(01:57)|文化||TOP↑
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    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
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