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2012.08.31
  藤田嗣治の「秋田の行事」を展示している、平野政吉美術館の大展示室では、「秋田の行事」を囲むように、10点程の藤田嗣治の作品が、常時展示されている。
 ある日の展示では、「秋田の行事」の右側に「自画像」(1936年)、「北平の力士」(1935年)、「客人(糸満)」(1938年)。左側に「眠れる女」(1931年)、「五人女」(1935年)、「1900年」(1937年)、「踊り子」(1939年)。向かい側に「私の画室」(1938年)、「台所」(1940年)、「女 サンフランシスコにて」(1933年)の配置であった。絵の配置は時によって変わるようだ。
 その中から、「北平の力士」(1935年)、「自画像」(1938年)を取り上げたい。

 「北平の力士」 … 1935年(昭和10年)、第22回二科展出品作品。(北平とは中華民国時代の北京の名称)
 藤田嗣治は、1934年(昭和9年)の11月~12月に45日間、中国、北京に滞在した。その時、北京飯店に泊まった際、ある英国人がモデルとして、蒙古(モンゴル)相撲の力士を連れてきて、藤田がスケッチしたのがこの作品である。この頃、藤田は風俗画風のものを好んで描いていた。三人の蒙古力士が力強く、堂々と描かれ、周囲の群像も生き生きと描かれている。また、多彩な色彩表現により、乳白色の時期にはなかった立体感が表現されている。人々の表情は生命力に溢れ、その場の音や匂いまで伝わって来るようである。平野政吉美術館では、「北平の力士」のデッサンも所蔵し、展示している。


 「自画像」 … 1936年(昭和11年)、第23回二科展出品作品。
 1936年(昭和11年)、四谷区左門町(当時)で描かれた自画像である。マドレーヌが急死した頃の藤田の生活ぶり、心情を見ることができる。和服姿の藤田がくつろぎ、卓袱台の上に食べ残されたお膳、藍染の暖簾、箪笥や土瓶などの調度品が描かれ、胸元からは猫も顔を出している。日本画的な味わいのある作品である。
 背後に大きく描かれた、中央に茶釜を染め抜いた藍染の暖簾は、平野政吉美術館所蔵の「我が画室」(1936年)、「私の画室」(1938年)にも登場し、その後、フランスに渡った後の1960年代に、ヴィリエ・ル・バークルの自宅のエントランスを撮影した写真にも見られる。藤田にとって特別な意味があるものであったようだ。



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提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。




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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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  • 2012.08.31(08:00)|文化||TOP↑
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    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
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