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2012.11.27
 1929年、ニューヨーク・ウォール街で株価が大暴落し、世界恐慌が始まり、華やかな「エコール・ド・パリ」の時代は終焉を告げた。モディリアーニ、ピカソ、パスキンなどともにエコール・ド・パリの一員であった藤田嗣治は、パリを離れ、P1010445 藤田嗣治 600x800 1930年にアメリカ、ニューヨーク、シカゴを訪れたのを始め、1931年から2年掛けて、4番目の妻となったマドレーヌ・ルクーとともに、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、キューバ、メキシコの中南米とアメリカ西部を訪れるなど「旅の時代」を迎えることになった。藤田はペルーのインカ帝国、マチュピチュ遺跡や、メキシコのアステカやマヤの古代遺跡などを訪れ、感銘を受けたが、この旅を通じて、藤田嗣治の画風は大きく変化し、パリ時代からの大きな転換期ともなった。パリ時代の「乳白色の下地」、白と黒の色調や繊細な黒の輪郭線の描写から、赤、黄、青、緑など多彩な色彩の描写へと変化した。藤田が目にしたヨーロッパとは異なる文化が、画風に変化を及ぼし、メキシコでは、現地の画家、ホセ・オロスコが制作した大壁画を見て深く感銘を受けた。この「中南米の旅」を終え、藤田は帰国後、東京、大阪、京都で壁画制作に挑み、一連の壁画制作の集大成として大壁画「秋田の行事」誕生へと繋がっていったのである。
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示、公開されている「秋田の行事」は制作当時、大きさが世界一で、僅か15日間で描かれたことだけではなく、藤田嗣治が「中南米の旅」を終え、画風が変化した時期の集大成と言える重要な作品である。
 「秋田の行事」の画面にある人々の生き生きとした躍動感溢れる描写や豊かな色彩表現は「中南米の旅」を通じて生まれたものでもある。

 また、「秋田の行事」に見られるスピード感、構成力、色彩感覚などは藤田芸術の一つの到達点を示していると言える。
 
 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、「秋田の行事」を展示することを主目的に、制作依頼主であり、藤田の最大の支援者であった平野政吉が建てた美術館である。末永く後世に伝え、これからもこの由緒ある美術館の空間で「秋田の行事」を鑑賞していくべきである。
 


※ 秋田県立美術館、2階で「藤田嗣治の旅―中南米のエネルギーとコスモロギー」が開催されています。(6月17日まで)




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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



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  • 2012.11.27(18:30)|文化||TOP↑
    2012.11.28
     昭和11年3月の秋田訪問の際、藤田は歓迎会の席の挨拶で「世界第一の芸術家、大日本帝国・藤田嗣治の名において、1923年(大正12年)、バチカン宮殿で、ローマ法王に謁見たまわった。エリゼ宮で、フランス大統領にも勲章をもらい、ベルギー皇帝からも…」と話し始めたという。藤田の語ったことはすべて真実であったが、伝説によると、この話に平野政吉がカチンときて、「世界一というなら世界一の絵を描いて証拠を見せろ」と詰め寄り、藤田が「それなら、世界一の大きさの絵を描いて見せましょう」と言ったのが、「秋田の行事」誕生のきっかけであると伝えられているが、晩年平野政吉は、実際は藤田の迫力の前に、ただ圧倒されたのが真相であると語っている。
     藤田嗣治作品の熱心な収集家となった平野政吉は、藤田の作品を集めた美術館を建設する夢を抱くようになり、昭和11年夏に、美術館建設構想を藤田に打ち明けた。藤田はこの話を受けて、美術館の壁を飾る壁画の制作を表明した。この時期、藤田は各地で壁画制作に取り組んでいたが、秋田の中に日本を見い出し、その集大成として、秋田を題材にした絵を描くことになったのだった。P1010416 平野政吉美術館w480
     この年の7月以降、藤田は度々秋田を訪れ、平野の案内で秋田市内の竿灯、日吉八幡神社山王祭などを見学し、スケッチをするなどした。また、平野は藤田のために、千秋矢留町に別宅を用意し、藤田の長期滞在に備えた。藤田が秋田に訪れるたびに二人は美術館の構想を深めていき、「秋田を第二の奈良に」「正倉院、法隆寺を秋田に拵えるつもりで」「壁画は奈良・東大寺の大仏に匹敵する世界一のものに」などと話し合われていった。
     藤田は、壁画制作の前に、「秋田の全ぼうが直ちに解る様に、あらゆる風俗又その時代的な意味に従って洩らさず描くつもりである」(「夕刊秋田」1936年《昭和11年》11月18日)と語った。
     そしていよいよ、昭和12年2月21日、平野政吉の米蔵で、後に「秋田の行事」と言われる秋田の全貌を描いた壁画が描かれることになった。
     藤田は一気に15日間、合計174時間でこの壁画を描き上げた。興が乗った時は三晩位の徹夜も度々あったとのことだ。完成後、藤田は平野に「平野さん、無駄な材料を使わせて申し訳ない」と言って、紫の絵具一個と白の大ビン二個だけを差し出したと言う。平野は最初に藤田から言われた量の絵具を渡しただけだったので、藤田の天才ぶりに畏敬の念を感じたと言う。完成後、藤田は「この大きさと時間の記録は、世界が終わるまで破られまい」「四百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」と興奮し、語っていたとのことだ。
     「秋田の行事」は、縦3.65メートル、横20.5メートルの大画面に、昭和12年当時の秋田の人々の暮らし、竿灯、梵天などの年中行事、祭りが生き生きと躍動的に描かれ、秋田の産業、歴史まで描かれている壁画である。画面には藤田ならでは線と色彩が融合し、生命力、パッションが溢れている。

     「秋田の行事」は、二人で構想した美術館に飾る壁画として描かれたものである。その後30年の時を経て、1967年(昭和42年)に完成した平野政吉美術館(秋田県立美術館)は、日本宮殿を思わせる屋根の形、正倉院を模した高床式の造りなど藤田嗣治、平野政吉の構想を生かしており、「秋田の行事」は藤田から受けた助言通りの展示の仕方(注)になっている。
     平野政吉美術館とそこに展示されている「秋田の行事」は、藤田嗣治と平野政吉の交友の歴史を示す貴重な証であり、未来にこのままの形で伝える義務が今に生きる私たちにある。この貴重な文化財を移設によって、価値を壊すようなことがあってはならない。


    (注) 「秋田の行事」は、藤田嗣治の助言により、床から6尺(約1.8メートル)上げた位置に据え付けられ、両端を少しずつ迫り出して据え付けられている。

    (この記事は、2011年9月21日の記事を再構成したものです)



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            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)





     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2012.11.28(21:17)|文化||TOP↑
    2012.11.30
     木の葉も落ち始め、秋の深まりを感じさせる風景の中に優美に佇む平野政吉美術館。
     収蔵されている「秋田の行事」、藤田嗣治作品は、この美術館にあればこそ、観る者に描かれた時代の空気感が伝わり、匂い、音まで感じられる。平野政吉と藤田嗣治の数々のエピソードも甦ってくる。この文化遺産は、このままの形で後世に伝えて行くべきである。



    P1010899 平野政吉美術館(2012年11月 晩秋)
    大手門の堀を前景にした平野政吉美術館

    P1010933 平野政吉美術館(2012年11月 晩秋)


    P1010940 平野政吉美術館・階段付近(2012年11月 晩秋)
    平野政吉美術館・階段付近

    P1010950 平野政吉美術館(2012年11月 晩秋)


    P1010973 平野政吉美術館(2012年11月 晩秋)
    千秋公園方面からの平野政吉美術館

    P1010935 平野政吉美術館(2012年11月 晩秋)


    P1010975 千秋公園表門(2012年11月)-1
    千秋公園内の表門付近




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    藤田嗣治「秋田の行事」と平野政吉美術館は一体の文化遺産
    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。






            P1010726 平野美術館(9-14)


    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
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     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
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     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)




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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)



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  • 2012.11.30(08:00)|未分類||TOP↑
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    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

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