<< topページへ
TOP
2017.10.21
 1936年 (昭和11年) 2月に、藤田嗣治は、「現代壁画論」を著わし、当時の日本社会における「壁画」の必要性や、メキシコ、フランスなどでの壁画作品の実情、自身の壁画制作の遍歴などを語っている。

 1930年代 (昭和5年~14年) は、画家・藤田嗣治にとって、画風が変化した大きな転換期であった。1931年から2年に及ぶ中南米への旅で藤田は、異文化を体験し、民俗的なものに眼差しを向けたが、その後、帰国した日本は、国家主義、民族主義の高まりを見せていた時代であった。
 「現代壁画論」の中で、藤田は、この時期の日本において、「吾等すべてが共力してこの壁画を作れば、結局国の富、国の誇りを作り出す訳である」 「多数の画家によって総べての形によって日本の到る処の地に名物の壁画を作成されん事を切望する次第である」 などと述べ、これからの時代の壁画の重要性を強調している。
 また、フランスで見たベルサイユ宮殿の壁画、シャヴァンヌの壁画、バチカン宮殿・システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロの大壁画、メキシコで見たリベラ、オロスコの壁画などに刺激を受け、日本で自らが壁画制作に挑もうと意欲を燃やしたと思われる。
 帰国後、日本で藤田は、「大地」 (1934年10月、教文館・聖書館ビル《東京銀座》、1階ブラジルコーヒー宣伝室)、「春」 (1935年10月、大阪そごう本店、6階特別食堂)、「コロンバン天井画」 (1935年11月、銀座コロンバン《東京銀座》、2階サロン)、「ノルマンディーの春」 (1936年5月、関西日仏学館《京都》、貴賓室)、「野あそび 」(1936年9月、丸物百貨店《京都》、中2階喫茶室) を描いている。「春」以降の4作は、依頼主や設置場所に相応しいフランス風景と女性像を描いたヨーロッパ風の作品であった。
 しかし、藤田は「何れの日にか満足に近い大幅の出現を夢み切々と実行している次第である」 (「現代壁画論」より) と語っており、将来、大作壁画を実現させることに強い意欲を燃やし、これが翌年、1937年 (昭和12年) の大作 「秋田の全貌」 (後に「秋田の行事」と呼ばれる) へと繋がっていったと推察される。
 また、藤田は、「現代壁画論」の中で、観光への壁画の効果を挙げ、「各県の県庁、物産陳列場等 (著者注、公共施設等) にその土地の風俗、お祭り、ダンス、踊り、其他の産物等を壁画として描くことは紹介の最良策と考えて居る」 と言及しているが、この構想は、唯一、秋田の平野政吉が依頼した 「秋田の全貌」 (後の「秋田の行事」) の制作により、実現されているだけである。

 この頃、藤田の作品に魅せられ、藤田の才能を日本でいち早く認めた秋田の資産家・平野政吉との出会い、さらに平野の美術館建設構想への共鳴があり、美術館の壁を飾るための大作壁画 「秋田の全貌」 (後の「秋田の行事」) 制作へと繋がっていったのである。
 この大壁画に描かれた、秋田の四季の祭り、風俗、人々の冬の生活風景などを通じ、藤田が伝えたかったのは、日本古来の文化、伝統的な営みへの慈しみ、誇りであり、また、民族主義が高まっていたその時代に生きた日本人としての、アイデンティティーが込められたものと言えるだろう。

 この壁画制作までの間、藤田嗣治と依頼主・平野政吉は、美術館と壁画の構想を温め、平野は「奈良の正倉院や法隆寺を秋田に拵えるような気持ちで、私は美術館を建てて新しい名所にしたい」 (「平野政吉 世界のフジタに世界一巨大な絵を描かせた男」より、 渡部琴子著 新潮社 2002年) と語り、意気投合した藤田と平野は、「秋田を第二の奈良に、そのためには、世界一大きい奈良の大仏に匹敵する、世界一大きな絵を描くことで二人の意見は一致した」 (「平野政吉 世界のフジタに世界一巨大な絵を描かせた男」より、 渡部琴子著 新潮社 2002年) ということである。
 また、1936年 (昭和11年)7月 、藤田は美術館のイメージとして、「採光だけは洋風にとって、出来上り小さな三十三間堂といった感じのものにしたい」 (平野政吉美術館企画展の説明より) と語ったと伝えられている。
 さらに、平野家に保存されていた、1938年 (昭和13年) に着工され、その後、鉄材使用制限により断念された、最初の美術館の設計図を見ても、日本宮殿風の造りと、広い空間の展示室に自然光をふんだんに採り入れる採光形式の設計になっていることが分かっている。
 
 最初の美術館建設着手後、29年の歳月を経て、1967年 (昭和42年) に完成した秋田県立美術館・平野政吉美術館は、秋田県初の歴史的な美術館として、県民に大いに歓迎された。
 また、その建物は、「日本宮殿流れ式の屋根」、 「正倉院を意識したという高床式の構造」、 「高い天井から自然光を採り入れる形式」を備えており、「秋田の全貌」 (後の「秋田の行事」) が制作された当時に構想されたデザインが、特徴的に随所に見られる。
 また、それを美術館の創設者・平野政吉が何より誇りにしていたことが、残された新聞、雑誌の記事等から分かっている。

 「美術館の建物を宮殿づくり、ギリシャ式柱廊を折衷したのは、館内の採光を考えた末の、フジタと私のアイディアだ」
(「平野政吉 世界のフジタに世界一巨大な絵を描かせた男」より、 渡部琴子著 新潮社 2002年)

 「別れるさい、(藤田は)美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光P1010425E7AA93800x600 平野政吉美術館の採光のとれる丸窓にしてくれといいました。宮殿造り、ギリシャ式柱廊へ例の丸窓をつけて画伯の心を忠実に生かしました」

(1985年《昭和60年》、あきた青年広論[(財)秋田青年会館発行]) ― (1966年《昭和41年》5月、美術館建設の報告のためパリ郊外の藤田嗣治を訪ねた時の様子を語って)



 民族主義が高まっていた昭和初期という時代の中で生まれた藤田嗣治の大壁画「秋田の全貌」 (後の「秋田の行事」) 、日本古来の建築様式に目を向け、この壁画のために考案されたデザインを持つ平野政吉美術館。この両者は、どちらも日本古来の文化、伝統に目を向け、この壁画に最も相応しい展示形式が追求されており、切り離すことの出来ない一体感を持つものである。
 この両者が醸し出す鑑賞空間を、後世の人々への貴い遺産として伝えるべきであると改めて思う。

P1010483 平野政吉美術館(6月)800x600











<参考記事>
平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶




スポンサーサイト


        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



関連記事
平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」



関連記事


  •    このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2017.10.21(06:00)|文化||TOP↑
    プロフィール

    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

    カレンダー
    09 | 2017/10 | 11
    1 2 3 4 5 6 7
    8 9 10 11 12 13 14
    15 16 17 18 19 20 21
    22 23 24 25 26 27 28
    29 30 31 - - - -
    ブログランキング

    ブログランキング・にほんブログ村へ

    お知らせ
    ※ 最近、当ブログ著者執筆の当ブログ記事を、自サイトに大量に無断転載した者がおりました。皆様ご注意ください。

    ※ 該当者は直ちに該当箇所を削除してください。
    全記事表示リンク
    最新記事
    My Yahoo ! Add to Google
    My Yahoo!に追加

    Add to Google

    Twitter
    リンク
    メール
    サイト内ランキング
    リンク
    タグ

    平野政吉のトロッコ構想 冬晴れの中の平野政吉美術館 岡本太郎 冬晴れ 平野政吉のエピソード 平野政吉美術館の採光 藤田嗣治の助言 晩秋の平野政吉美術館 藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」 財団法人平野政吉美術館 オランジュリー美術館 藤田嗣治が語った壁画 新緑の中の平野政吉美術館 乳白色の肌 秋田県立美術館(平野政吉美術館)工事写真 フレスコ壁画 千秋公園の掘 春光 丸窓 藤田嗣治「眠れる女」 合理性に乏しい平野政吉美術館の移転理由 稀有なる先人・平野政吉 岡本太郎「明日の神話」 藤田嗣治の日記 平野政吉 千秋公園大手門の堀 平野政吉美術館の風景(春) 厳寒の中の平野政吉美術館 平野政吉美術館開館 中土橋 銀座コロンバン天井画 秋田の文化遺産 平野政吉と飛行機 新緑 壁画「秋田の行事」 藤田嗣治と平野政吉 「平野政吉美術館の移転理由は何か」についてのお知ら 雪中の平野政吉美術館 壁画 大手門の堀 藤田嗣治と平野政吉の友情 穴門の堀 哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘 平野政吉美術館(秋田県立美術館)建設 都市公園、千秋公園 平野政吉が語った藤田嗣治作品 レオナール・フジタ 秋田年中行事太平山三吉神社祭礼の図 蓮の花 藤田嗣治「優美神」 随筆集「地を泳ぐ」 裏日本 壁画時代 平野政吉美術館の採光形式 マドレーヌ 春の訪れ 秋田 藤田嗣治「秋田の行事」の奥行き感 平野政吉と藤田嗣治、18年ぶりの再会 つつじ 秋田の全貌 文化遺産 審美眼 大壁画「秋田の行事」 千秋公園大手門の堀(秋) アッツ島玉砕 サイパン島同胞臣節を全うす 紅葉 平野政吉と藤田嗣治の歴史 秋田の行事 蓮の花と平野政吉美術館 平野政吉美術館の丸窓 千秋公園のつつじ 大手門の堀(冬) 平野政吉コレクション藤田嗣治作品第一号 レオナール・フジタ「秋田の行事」 レオナール・フジタに大壁画「秋田の行事」を描かせた 秋田県立美術館(平野政吉美術館)開館 「秋田の行事」の魅力 初冬 藤田嗣治 羽織袴姿の平野政吉 藤田嗣治最後の作品 平野政吉美術館の風景 藤田嗣治の戦争画 散逸した秋田の文化遺産 平野政吉美術館の移転理由 蓮の花と千秋公園の堀 大壁画「秋田の行事」誕生 藤田嗣治芸術の到達点 水面に映る平野政吉美術館 平野政吉と藤田嗣治の美術館建設構想 藤田嗣治「秋田の行事」の構図 秋田の四季 現代壁画論 平野政吉美術館 秋田県立美術館(平野政吉美術館)地鎮祭・定礎式 藤田嗣治作品の魅力 「壁画について」と秋田の行事 千秋公園穴門の堀 藤田嗣治「中南米の旅」 紫陽花 平野政吉美術館の風景(冬) 平野政吉美術館の風景(夏) 藤田嗣治と秋田 平野政吉の思い 冬の平野政吉美術館 蓮の花と千秋公園 平野政吉美術館の展示 平和の聖母礼拝堂 藤田嗣治「北平の力士」 美術館と自然光 平野政吉美術館と一体の藤田作品 「秋田の行事」の展示状況 千秋公園 平野政吉美術館の風景(秋) 平野政吉の美術館建設の夢 自然光 クロード・モネ 桜花と平野政吉美術館 平野政吉の業績 浮世絵と藤田嗣治 レオナール・フジタ「平和の聖母礼拝堂」 藤田嗣治「秋田の行事」 平野政吉美術館の設計 晩秋 平野政吉と藤田嗣治の出会い 平野政吉と藤田嗣治 平野政吉美術館の建設 秋田県立美術館(平野政吉美術館)竣工写真 壁画「大地」 クロード・モネ「睡蓮」 お知らせ 平野政吉コレクション 藤田嗣治の美術館建設宣言 藤田嗣治「カーニバルの後」 雪に埋もれる町 初冬の平野政吉美術館 藤田嗣治「自画像」 藤田嗣治のパトロン平野政吉 春の訪れと平野政吉美術館 

    月別アーカイブ
    RSSリンクの表示
    FC2ブログランキング
    フリーエリア
    FXプライム
    hatenaブックマーク
    Akita Column
    このブログをリンクに追加する
    お知らせ
    ※ 掲載の記事、写真等の無断転載を禁止します。

    ※ 最近、掲載記事を自サイトに無断転載した者がおりました。
     無断転載を固く禁止します。
    QRコード
    QR
    Powered By FC2ブログ

    今すぐブログを作ろう!

    Powered By FC2ブログ