秋田の文化遺産を考える文化
> ◇平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について 〔再投稿〕(2011.7.29)

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2013.04.28
 「私と別れ際、藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。藤田は、スケッチをくれた。これが最後の対面となった。」

 平野政吉は、1983年(昭和58年)1月12日に朝日新聞に掲載された「聞き書き わがレオナルド藤田」の中で、1966年(昭和41年)に美術館建設の報告を兼ね藤田に会いに行った際の様子を語り、藤田にそう助言されたと語っている。P1010425E7AA93800x600 平野政吉美術館の採光
また、秋田県内の財団法人発行の雑誌の中で平野政吉の対談が掲載されており、同様に、藤田を訪ねた際、美術館の屋根はランス礼拝堂のような採光のとれる丸窓にしてくれと言われ、宮殿造りのギリシャ式柱廊の美術館に丸窓をつけて画伯の心を忠実に表わしたと語っている。

 藤田は、自らの画業の集大成として、フランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」の設計、壁画、ステンドグラスの制作に取り組み、1966年(昭和41年)10月に完成させているが、その壁画制作に入る直前に、平野政吉は藤田に会い、美術館の採光方式をアドバイスされている。

 1968年(昭和43年)1月29日、藤田はスイス、チューリッヒで亡くなったが、今は生前の藤田の希望により、自ら設計したランスの「平和と聖母礼拝堂」に眠っている。

 平野政吉は、美術館をこのランスの「平和と聖母礼拝堂」と同じ採光形式にするよう、藤田に託されており、現在の平野政吉美術館は、ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる、藤田の魂が込められていると言える。また、「平和の聖母礼拝堂」に描かれた藤田の最後の大作であるフレスコ壁画と同じように、大壁画「秋田の行事」には柔らかな自然光が降り注がれている(注)。

 世界で最も著名な日本人画家、レオナール・フジタ(藤田嗣治)が深く関わった建築物は、フランス、ヴィリエ・ル・バークルの住居兼アトリエであった「メゾン・アトリエ・フジタ」、ランスの「平和の聖母礼拝堂」があるが、日本では、平野政吉美術館以外にあるだろうか。  

 平野政吉美術館(秋田県立美術館)は、千秋公園の緑に溶け込んだ佇まいの中に平野政吉とレオナール・フジタ(藤田嗣治)の交友の歴史を示しており、貴重な秋田の文化遺産として後世に残すべきである。


(注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。


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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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  • 2013.04.28(17:05)|文化||TOP↑
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    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

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