秋田の文化遺産を考える文化
> ◇平野政吉の業績 … 平野コレクションと美術館 〔再投稿〕(2011.8.2)

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2013.11.01
 平野政吉は10代の頃から93歳で亡くなるまで生涯をかけ、その財力の全てを費やし、卓越した審美眼で美術品を収集し続けた。そのうち財団法人平野政吉美術館に寄贈された作品は601点で、藤田嗣治作品は101点である。P1010420門800x600.jpg

 大壁画「秋田の行事」は、藤田が平野政吉の求めに応じて、二人で構想した美術館を壁画で飾るために描かれた。縦365㌢、横2050㌢の大きさがあり、制作当時、世界一と言われた。
 昭和12年当時の秋田の人々の暮らし、年中行事と祭りが大迫力で描かれ、秋田の産業、歴史まで散りばめられている作品である。藤田はこの作品を描く前に「壁画は秋田の全ぼうが直ちに解る様に、あらゆる風俗又その時代的な意味に従って洩らさず描くつもりである」(「夕刊秋田」1936年《昭和11年》11月18日)と語っている。線と色彩の融合、生命力、パッションが画面に溢れており、藤田の特徴がよく表わされている。藤田はこの壁画を僅か15日で一気に描き上げ、完成後、「この大きさと時間の記録は、世界が終わるまで破られまい」「四百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」と興奮し、語っていたと言う。平野政吉は、藤田に当時の金額で、50万円支払ったとのことだ。当時、家が100軒建つ金である。

 「眠れる女」は藤田の4番目の妻、マドレーヌを描いた作品である。繊細な線描、乳白色の肌の秀作である。1936年(昭和11年)6月、マドレーヌが急死した際、経済的に困窮していた藤田が、平野政吉に売った作品であり、平野コレクションの藤田作品第一号となった。藤田はこの絵を夜行列車に乗り、一睡もせず、秋田に持ってきたという。平野の美術館建設構想を聞き、「お前、大丈夫だよ。ここは美術館になるんだからな」と言って秋田を去ったという逸話が残されている。
 この1936年(昭和11年)に平野政吉は、現在平野政吉美術館の大展示室に常設展示されている「北平の力士」、「五人女」、「カーニバルの後」など大作12点を、当時の金額5万円で購入している。当時、家が10軒建つ金額である。

 江戸時代から続く米穀商で、秋田県内有数の大地主の家に生まれた平野政吉は、経済的に恵まれ、月に米250俵分の金額を美術品収集に使うほどであったが、戦後の農地改革で多くの資産を失った。
 昭和42年、念願の美術館 (秋田県立美術館・平野政吉美術館) を建て終えた後、平野政吉は、秋田市大町にあった、藤田が「秋田の行事」を描き上げた米蔵や千秋矢留町の別邸などすべてを失った。
 現在、平野政吉を偲ぶものは、若い頃、藤田と二人で構想して以来、29年の歳月を費やし完成させた、P1010726 平野美術館(9-14)正倉院を模した高床式のこの美術館だけである。

 平野政吉は、その生涯をかけ、全財力を費やし、レオナール・フジタ(藤田嗣治)作品を始めとした貴重な美術品を収集した。
 美術館は、平野政吉の業績の集大成であり、秋田の地に収集した作品を恒久に保存、展示するために造られたものだ。
 平野政吉の業績を称える意味においても、平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、平野コレクションとともに秋田の文化遺産として永く後世に伝えるべきである。


<参考記事>
平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶


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<お薦め記事>
藤田嗣治の壁画「秋田の行事」が描かれた時代の背景 ~ 一体感を持つ「平野政吉美術館」




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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」





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  • 2013.11.01(17:57)|文化||TOP↑
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    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

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