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2011.09.03
   P1010455 平野政吉 720x540.jpg   P1010452 藤田嗣治 720x540.jpg
 
 明治28年(1895年)、秋田市大町で江戸時代から続く米穀商の家に生まれた平野政吉は、若い頃、我が国航空界の黎明期に飛行機の操縦に没頭、操縦中に東京湾に墜落し、九死に一生を得るなど、破天荒な人物であったことが知られているが、経済的に恵まれ、十代の頃から美術品を収集していた。
 藤田嗣治は、明治19年(1886年)、東京府牛込区(現在の新宿区)新小川町で陸軍軍医の家に生まれ、若い頃から画家を志し、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業後、フランスに渡り、パリ、モンパルナスに住み、エコール・ド・パリの一員としてアメデオ・モディリアーニ、パブロ・ピカソ、アンリ・ルソーなどと交友し、活躍、サロン・ドートンヌの審査員になるなどの名声を得た。藤田ならではのきめ細かで、美しい線描の技法、「乳白色の肌」「グラン・フォン・ブラン(すばらしい白の地)」と呼ばれた透明感に溢れた画風を確立し、1925年にはフランスからレジオン・ドヌール勲章、ベルギーからレオポルド勲章を授与されるまでになった。
 昭和4年(1929年)、藤田は17年ぶりに帰国し、日本で初の個展が東京数寄屋橋の朝日新聞社五階で開かれた。平野政吉はこの個展で初めて藤田嗣治の絵を見たが、その時はただ「うまいな」と感じただけだったと言う。この年、平野政吉は、日本橋三越での個展、第十回帝展(現・日展)でも藤田の絵を見たと言う。
 昭和9年(1934年)、藤田嗣治と平野政吉は、上野の二科展の会場で初めて出会った。その時、平野政吉は自信満々に話す藤田の人柄と作品に強い衝撃を受けた。日本の洋画壇の巨匠、藤島武二との挨拶を終えた藤田嗣治に平野政吉が「私も藤島さんの絵が好きです」と話しかけた時、藤田は言った。「ああいう人の絵を買っておくと、やがてみんなただになりますよ。ぼくの絵は全部国宝ですからね」
 最初、平野政吉は藤田をおかしなこと言う人だと思ったと言う。しかし、藤田が描いた「カーニバルの後」(1932年)を見て、その細密な線描、画面全体を包み込む倦怠感、足元に散乱する紙テープの描写の正確さなどに心が動かされ、強い衝撃を受けた。そして、今まで自分が収集してきたものが、吹き飛ばされてしまう感じがしたと言う。その出会いから二人の交友が始まった。この頃から、平野政吉は、美術館を建てたい、そのために純粋芸術の藤田の絵を集めたいと思うようになったと言う。
 平野政吉は、若い頃から培ってきた審美眼で、藤田嗣治の作品と才能に着目し、その後、美術館建設の夢の実現のため、藤田嗣治作品を誰よりも熱心に収集していくこととなる。



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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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  • 2011.09.03(15:00)|文化||TOP↑
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    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

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