秋田の文化遺産を考える文化
> 美術館と自然光 … 1

<< topページへ
<< 美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合へTOP初冬の平野政吉美術館の風景へ >>
2011.12.17
 平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光形式については、藤田の意向であったことを詳しく5月28日の記事で書いたが、世界の美術館の中にも、館内に自然光を採り入れている美術館は多くある。
 (5月28日の記事〔http://akitabunka.blog.fc2.com/blog-entry-2.html〕)
 著名な美術館としては、フランス・パリのルーブル美術館、オルセー美術館、オランジュリー美術館、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、フォートワースのキンベル美術館、スペイン・バルセロナのミロ美術館などである。
 日本でも東京都江東区の東京都現代美術館、神奈川県横須賀市の横須賀美術館、神奈川県葉山市の神奈川県立近代美術館葉山館、岐阜県中津川市の熊谷守一記念館などがある。他にも多数ある。
 そのうち、オランジュリー美術館は、睡蓮の作者として有名なクロード・モネの「自然光で見てほしい」という遺志を再現するために、フランス政府によって、自然光を採り入れる展示に変えることが決定され、6年の工事を終え、2006年5月にリニューアルされた美術館である。
 ニューヨーク近代美術館は、日本人建築家、谷口吉生の設計により、2004年11月に再オープンし、館内は自然光に溢れている。
 また、東京・渋谷駅の連絡通路に2008年11月に設置、公開された、「秋田の行事」をも凌ぐ岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」(高さ5.5㍍、幅30㍍)も日中は自然光で観れるように配慮された展示になっている。
 作家や設置する側の者に明確なコンセプトがある場合、自然光による美術作品の展示は、作品や美術館自体の特徴を一層際立たせ、訪れる者を楽しませ、豊かな気持ちにさせ、美術鑑賞の場として満足感を与える。
 ところが、秋田県においては、昨年2月の県議会において、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸窓からの自然光が絵に悪い。だから、移転が必要だという議論がされた。全く浅はかな議論であり、残念なことであった。
 平野政吉美術館の採光は、大壁画「秋田の行事」の作者、藤田嗣治の「ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」という明確な遺志による採光形式となっており(注)、P1010032_01 hir.jpg際立った特徴を有しており、この特徴を今後も生かし、この美術館を藤田が最後に制作したフランス・ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる美術館として、世界に誇れる秋田の文化遺産として残していくべきである。
 平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、従来どおり、平野コレクション、藤田嗣治作品の恒久の保存、展示、鑑賞の場として後世に伝えていくべきである。


(注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。

<追記>
 万一、自然光の紫外線を懸念する場合は、近年の技術革新により、紫外線カットガラスや、ガラスに紫外線を吸収するためのコーティングを施すことによって対応できる。
                  
(この記事は6月8日に投稿した「美術館と自然光について」を再構成したものです)

<関連記事>
新県立美術館における「秋田の行事」の見え方について ~ 藤田嗣治が求めたのは自然光による採光形式であった
懸念される新県立美術館での藤田嗣治「秋田の行事」の展示


〈最新お薦め記事〉
☆18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
☆美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合
☆最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5


<関連記事>
秋田の文化遺産…平野政吉美術館
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
平野政吉のエピソード
平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
千秋公園の景観に溶け込む平野政吉美術館
平野政吉美術館の移転理由は何か 1
平野政吉美術館の移転理由は何か 2
平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
美術館建設宣言と「眠れる女」 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5



関連記事
スポンサーサイト


        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



関連記事
平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」





  •    このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2011.12.17(23:10)|文化||TOP↑
    プロフィール

    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

    カレンダー
    03 | 2017/04 | 05
    - - - - - - 1
    2 3 4 5 6 7 8
    9 10 11 12 13 14 15
    16 17 18 19 20 21 22
    23 24 25 26 27 28 29
    30 - - - - - -
    ブログランキング

    ブログランキング・にほんブログ村へ

    お知らせ
    ※ 最近、当ブログ著者執筆の当ブログ記事を、自サイトに大量に無断転載した者がおりました。皆様ご注意ください。

    ※ 該当者は直ちに該当箇所を削除してください。
    全記事表示リンク
    最新記事
    My Yahoo ! Add to Google
    My Yahoo!に追加

    Add to Google

    Twitter
    リンク
    メール
    サイト内ランキング
    リンク
    タグ

    蓮の花と千秋公園 秋田 大手門の堀 都市公園、千秋公園 千秋公園大手門の堀(秋) つつじ 雪中の平野政吉美術館 春の訪れと平野政吉美術館 審美眼 哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘 秋田の全貌 財団法人平野政吉美術館 平野政吉美術館 藤田嗣治芸術の到達点 藤田嗣治 藤田嗣治「秋田の行事」 平野政吉美術館の建設 壁画「大地」 秋田県立美術館(平野政吉美術館)地鎮祭・定礎式 壁画 平野政吉と藤田嗣治の美術館建設構想 藤田嗣治「カーニバルの後」 平野政吉美術館の移転理由 新緑 オランジュリー美術館 藤田嗣治「優美神」 藤田嗣治「中南米の旅」 現代壁画論 お知らせ サイパン島同胞臣節を全うす 藤田嗣治の助言 フレスコ壁画 平野政吉美術館の設計 紫陽花 藤田嗣治が語った壁画 平野政吉のトロッコ構想 平野政吉の思い 平野政吉と藤田嗣治、18年ぶりの再会 秋田県立美術館(平野政吉美術館)工事写真 平野政吉と藤田嗣治の出会い 平野政吉コレクション 千秋公園の掘 平野政吉美術館と一体の藤田作品 新緑の中の平野政吉美術館 平野政吉のエピソード 藤田嗣治の戦争画 クロード・モネ マドレーヌ 秋田の四季 千秋公園穴門の堀 平野政吉美術館の風景(夏) 平野政吉と飛行機 「壁画について」と秋田の行事 蓮の花と千秋公園の堀 平野政吉美術館開館 蓮の花と平野政吉美術館 クロード・モネ「睡蓮」 自然光 平和の聖母礼拝堂 藤田嗣治「自画像」 藤田嗣治作品の魅力 藤田嗣治と平野政吉 千秋公園大手門の堀 アッツ島玉砕 随筆集「地を泳ぐ」 藤田嗣治「秋田の行事」の奥行き感 丸窓 羽織袴姿の平野政吉 「平野政吉美術館の移転理由は何か」についてのお知ら 文化遺産 晩秋の平野政吉美術館 レオナール・フジタ「平和の聖母礼拝堂」 平野政吉と藤田嗣治の歴史 平野政吉と藤田嗣治 初冬の平野政吉美術館 レオナール・フジタ「秋田の行事」 藤田嗣治の美術館建設宣言 平野政吉の業績 平野政吉美術館の風景 乳白色の肌 平野政吉が語った藤田嗣治作品 平野政吉 春の訪れ 壁画時代 レオナール・フジタに大壁画「秋田の行事」を描かせた 平野政吉の美術館建設の夢 水面に映る平野政吉美術館 藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」 藤田嗣治「眠れる女」 壁画「秋田の行事」 藤田嗣治「秋田の行事」の構図 紅葉 平野政吉美術館の展示 平野政吉美術館の風景(冬) 雪に埋もれる町 大手門の堀(冬) 平野政吉美術館の丸窓 岡本太郎「明日の神話」 藤田嗣治最後の作品 銀座コロンバン天井画 藤田嗣治のパトロン平野政吉 平野政吉美術館の風景(秋) 秋田の文化遺産 平野政吉コレクション藤田嗣治作品第一号 浮世絵と藤田嗣治 「秋田の行事」の展示状況 美術館と自然光 中土橋 穴門の堀 稀有なる先人・平野政吉 平野政吉美術館(秋田県立美術館)建設 桜花と平野政吉美術館 秋田の行事 大壁画「秋田の行事」 晩秋 藤田嗣治の日記 レオナール・フジタ 春光 大壁画「秋田の行事」誕生 藤田嗣治と秋田 秋田県立美術館(平野政吉美術館)竣工写真 蓮の花 厳寒の中の平野政吉美術館 平野政吉美術館の採光形式 「秋田の行事」の魅力 裏日本 冬晴れの中の平野政吉美術館 散逸した秋田の文化遺産 秋田県立美術館(平野政吉美術館)開館 初冬 冬晴れ 藤田嗣治と平野政吉の友情 冬の平野政吉美術館 千秋公園のつつじ 平野政吉美術館の風景(春) 平野政吉美術館の採光 合理性に乏しい平野政吉美術館の移転理由 秋田年中行事太平山三吉神社祭礼の図 岡本太郎 千秋公園 藤田嗣治「北平の力士」 

    月別アーカイブ
    RSSリンクの表示
    FC2ブログランキング
    フリーエリア
    FXプライム
    hatenaブックマーク
    Akita Column
    このブログをリンクに追加する
    お知らせ
    ※ 掲載の記事、写真等の無断転載を禁止します。

    ※ 最近、掲載記事を自サイトに無断転載した者がおりました。
     無断転載を固く禁止します。
    QRコード
    QR
    Powered By FC2ブログ

    今すぐブログを作ろう!

    Powered By FC2ブログ