秋田の文化遺産を考える文化
> 平野政吉のエピソード

<< topページへ
<< 千秋公園の景観に溶け込む平野政吉美術館へTOP美術館と自然光についてへ >>
2011.06.18
 1967年(昭和42年)5月5日、平野政吉美術館(秋田県立美術館)開館の日、平野政吉は、「16才から58年間、一途に集めてきた作品だけに愛着があり、藤田画伯も秋田に『新しい奈良』を築きなさいと私に語っていた。私としてはどうしても秋田の地に飾りたかった 」と述べている。平野政吉は、秋田に強い愛着のある人であった。
 また、平野政吉美術館は、青少年の育成を理念に掲げているが、平野政吉は、それを実践した人でもあった。美術館の敷地内に「平野美術研究所」を建て、子供から社会人まで集い、学んだと言う。
 また、ある方は、若い頃、毎日のように美術館に通っていた時、平野政吉に声をかけられ、「絵を教えるので明日から3ヵ月間、毎日美術館に通うように」と言われ、直接、絵画鑑賞の手ほどきを受けたとのことだ。また、子供頃、学校帰りに美術館に立ち寄った際、絵の説明をしてくれたうえに、いつもお菓子までいただいたという人の話もある。ほとんど毎日、羽織袴姿の正装で美術館におられ、訪れた人々に誰彼となく絵の話をされていたことが知られている。
 1968年(昭和43年)の藤田嗣治の葬儀の際も、紋付羽織袴姿で、フランスを訪れ、「フジタのパトロン。育ての親」と言われ、心から歓迎されたとのことだ。
 また、全国各地で、作品が出展される際は、いつも作品に付き添って出かけ、「藤田作品とともにある」という信念を貫いた人であった。
 藤田嗣治との長年の約束を果たし完成させた美術館を、平野政吉はフランスの理念が込められた建物であると話し、とても自慢していたとのことだ。念願の美術館に、強い愛着と誇りを持っていたことは疑いのないことだ。
 
 「美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」藤田はそう平野政吉に話し、平野はそれを忠実に守ったと証言している。そして平野美術館の特徴ある丸窓はこのためだと明言している。その事実は複数の新聞、雑誌の中で明らかになっている。(詳細は5月28日の記事を参照ください) 

 平野政吉は、生涯をかけ収集した作品を「秋田」の地に残すために、念願の美術館を完成させた。そしてこの美術館に藤田の理念と尊い思いが込められていることをとても誇りにしていた。
 その平野政吉の思い、遺志を考えた時、この美術館を移転するという考えは出ないはずではないか。
 美術館の創設者であり、すべての作品の寄贈者である平野政吉の遺志を尊重し、正しく継承するためにも、平野政吉美術館(現秋田県立美術館)は、今の佇まいのまま、藤田嗣治作品とともに後世に伝えるべきである。秋田の先人が残した貴重な秋田の文化遺産として末永く後世に伝えていくべきである。


<関連記事>
秋田の文化遺産…平野政吉美術館
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
美術館と自然光について
平野政吉のエピソード
平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
千秋公園の景観に溶け込む平野政吉美術館
平野政吉美術館の移転理由は何か 1
平野政吉美術館の移転理由は何か 2
平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
美術館建設宣言と「眠れる女」 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
美術館と自然光 … 1
美術館と自然光 2 … 軽井沢千住博美術館の場合




関連記事
スポンサーサイト


        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



関連記事
平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」





  •    このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2011.06.18(14:30)|文化||TOP↑
    プロフィール

    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

    カレンダー
    07 | 2017/08 | 09
    - - 1 2 3 4 5
    6 7 8 9 10 11 12
    13 14 15 16 17 18 19
    20 21 22 23 24 25 26
    27 28 29 30 31 - -
    ブログランキング

    ブログランキング・にほんブログ村へ

    お知らせ
    ※ 最近、当ブログ著者執筆の当ブログ記事を、自サイトに大量に無断転載した者がおりました。皆様ご注意ください。

    ※ 該当者は直ちに該当箇所を削除してください。
    全記事表示リンク
    最新記事
    My Yahoo ! Add to Google
    My Yahoo!に追加

    Add to Google

    Twitter
    リンク
    メール
    サイト内ランキング
    リンク
    タグ

    レオナール・フジタ「秋田の行事」 藤田嗣治「眠れる女」 平野政吉と藤田嗣治の美術館建設構想 平野政吉美術館の風景(春) 「平野政吉美術館の移転理由は何か」についてのお知ら 哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘 新緑 平野政吉と藤田嗣治の歴史 藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」 大手門の堀 千秋公園 初冬の平野政吉美術館 厳寒の中の平野政吉美術館 壁画「秋田の行事」 クロード・モネ「睡蓮」 平野政吉美術館 合理性に乏しい平野政吉美術館の移転理由 晩秋 新緑の中の平野政吉美術館 藤田嗣治の戦争画 蓮の花と千秋公園の堀 春の訪れと平野政吉美術館 千秋公園の掘 紅葉 壁画「大地」 藤田嗣治が語った壁画 藤田嗣治芸術の到達点 水面に映る平野政吉美術館 冬晴れの中の平野政吉美術館 秋田県立美術館(平野政吉美術館)開館 レオナール・フジタに大壁画「秋田の行事」を描かせた 平野政吉コレクション フレスコ壁画 藤田嗣治「秋田の行事」の構図 秋田県立美術館(平野政吉美術館)工事写真 大手門の堀(冬) 文化遺産 藤田嗣治と平野政吉の友情 平野政吉美術館の風景(夏) レオナール・フジタ 秋田の行事 サイパン島同胞臣節を全うす 藤田嗣治作品の魅力 オランジュリー美術館 アッツ島玉砕 雪に埋もれる町 冬の平野政吉美術館 現代壁画論 冬晴れ つつじ 藤田嗣治「秋田の行事」 クロード・モネ 平野政吉美術館の丸窓 岡本太郎「明日の神話」 平野政吉のトロッコ構想 春の訪れ 秋田県立美術館(平野政吉美術館)竣工写真 銀座コロンバン天井画 秋田県立美術館(平野政吉美術館)地鎮祭・定礎式 藤田嗣治「優美神」 平野政吉と藤田嗣治の出会い 秋田 藤田嗣治「カーニバルの後」 「秋田の行事」の展示状況 散逸した秋田の文化遺産 自然光 平野政吉と飛行機 秋田の文化遺産 「壁画について」と秋田の行事 春光 平野政吉の美術館建設の夢 藤田嗣治と平野政吉 平野政吉美術館(秋田県立美術館)建設 審美眼 平野政吉美術館の移転理由 藤田嗣治「中南米の旅」 平野政吉美術館の展示 藤田嗣治「自画像」 蓮の花と千秋公園 「秋田の行事」の魅力 平野政吉の業績 桜花と平野政吉美術館 平野政吉と藤田嗣治、18年ぶりの再会 壁画時代 平野政吉のエピソード 中土橋 紫陽花 平野政吉美術館の風景(秋) 平野政吉美術館の風景 平野政吉と藤田嗣治 平野政吉美術館と一体の藤田作品 平野政吉美術館の設計 マドレーヌ 平野政吉美術館の建設 平和の聖母礼拝堂 美術館と自然光 千秋公園穴門の堀 平野政吉の思い お知らせ 藤田嗣治のパトロン平野政吉 晩秋の平野政吉美術館 平野政吉美術館の採光 秋田の全貌 千秋公園のつつじ 裏日本 藤田嗣治と秋田 藤田嗣治の助言 蓮の花と平野政吉美術館 壁画 浮世絵と藤田嗣治 平野政吉が語った藤田嗣治作品 藤田嗣治の日記 蓮の花 随筆集「地を泳ぐ」 平野政吉美術館の採光形式 大壁画「秋田の行事」 千秋公園大手門の堀 財団法人平野政吉美術館 秋田年中行事太平山三吉神社祭礼の図 平野政吉コレクション藤田嗣治作品第一号 雪中の平野政吉美術館 初冬 秋田の四季 都市公園、千秋公園 乳白色の肌 丸窓 穴門の堀 岡本太郎 平野政吉美術館の風景(冬) 藤田嗣治の美術館建設宣言 藤田嗣治最後の作品 藤田嗣治 千秋公園大手門の堀(秋) 大壁画「秋田の行事」誕生 レオナール・フジタ「平和の聖母礼拝堂」 羽織袴姿の平野政吉 藤田嗣治「秋田の行事」の奥行き感 藤田嗣治「北平の力士」 平野政吉美術館開館 平野政吉 稀有なる先人・平野政吉 

    月別アーカイブ
    RSSリンクの表示
    FC2ブログランキング
    フリーエリア
    FXプライム
    hatenaブックマーク
    Akita Column
    このブログをリンクに追加する
    お知らせ
    ※ 掲載の記事、写真等の無断転載を禁止します。

    ※ 最近、掲載記事を自サイトに無断転載した者がおりました。
     無断転載を固く禁止します。
    QRコード
    QR
    Powered By FC2ブログ

    今すぐブログを作ろう!

    Powered By FC2ブログ