秋田の文化遺産を考える文化
> 藤田嗣治と平野政吉の友情そのものが秋田の財産、その証である現県立美術館(平野政吉美術館) … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 6

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2013.03.15
P1010446 藤田嗣治(セピア)-2 藤田嗣治は、1913年(大正2年)6月、フランスに渡り、独自の画風を切り開き、ヨーロッパ画壇で高く評価され、成功を収め、1929年(昭和4年)9月、17年ぶりに帰国を果たした。

 藤田嗣治と平野政吉は、1934年(昭和9年)上野の二科展の会場で初めて出会い、藤田の作品と藤田の圧倒的な自信を目の当たりにした平野は、強い衝撃を受け、それ以後、平野は藤田作品の熱心なコレクターになり、交友を重ねていった。
 この二人の友情が一層深まったのは、P1010451 平野政吉(セピア)藤田の妻、マドレーヌが日本で急死した際、平野政吉が葬儀のための費用を工面したり、悲嘆にくれる藤田を慰め、励ましたりしたことによる。

 「このメキシコ風の家で、フジタはフランス婦人マドレエヌを失った。………それから間もなく、秋田から平野政吉という人が上京してきて、あの悲嘆にくれたフジタの顔を見てたまらなくなったので、フジタを激励するために秋田にフジタ美術館を作りたいと申出てきた。それがフジタと平野氏を結ぶ縁であったとわたしは記憶している」(蘆原英了「フジタの画室など―平野コレクションを観る―」、「みづゑ」1955年《昭和30年》12月号)

 その後、平野政吉は、美術館に飾る壁画 ― 後に「秋田の行事」と呼ばれる ― を藤田に描かせることに成功し、この壁画と自らが収集したコレクションを国民、秋田県民に公開するための美術館の建設のために、残る人生を懸けることになった。
 藤田嗣治は、1949年(昭和24年)3月、日本を離れ、その後、二度と日本の土を踏むことがなかったが、日本を離れる前、平野政吉に次のように話したとのことだ。

 「先生は、レオナルド・ダ・ヴィンチを大変尊敬していたが、いよいよ日本を去る時私に、『平野さん、これはあなたへのお礼としてあなたにだけに言いのこしておくが、あのモナリザはにせものだよ』という。『それはまたどうして?』と、聞き返すと、先生は、『いや、あのモナリザという作品は、私より下手だから』といったものである」(1977年《昭和52年》、藤田嗣治展図録)

 藤田は、敬愛するレオナルド・ダ・ヴィンチよりも自分が上だとまで話したという。内に秘めていた揺るぎない「自信」を、親友の平野政吉であればこそ打ち明けたのであろう。
 藤田嗣治と平野政吉は、それ程までの心が打ち解けた、深い友情を築いていたと言えよう。

 世界画壇で最も高く評価されている日本人画家、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の実力、才能を見抜き、世界に誇れるコレクターになった平野政吉。
 藤田嗣治との出会いを生涯の誇りにし、生涯「先生」と呼び、敬愛していた平野政吉の存在そのものが、秋田の誇りであり、財産である。
 そして、この二人の友情そのものが、秋田の宝である。その友情を今に伝えているのが、藤田の理念が込められている現秋田県立美術館(平野政吉美術館)なのである。



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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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  • 2013.03.15(22:08)|文化||TOP↑
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    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

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