秋田の文化遺産を考える文化
> 「壁画時代」の到来に意欲を燃やした藤田嗣治 ― 壁画「秋田の全貌」(後に「秋田の行事」と呼ばれる)は、藤田快心の壁画だった。

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2013.11.27
 華やかであったエコール・ド・パリの時代が終焉を告げ、藤田は、自分の将来を何とかしたという思いから新たな画境を求め、パリを離れ、ラテンアメリカ各地に2年に及ぶ放浪の旅に出た。異文化体験と、メキシコでのリベラ、オロスコなどの壁画との出会いがあり、日本に戻った後、藤田は、土着的な、民俗的なものに目を向けるようになり、各地で壁画制作に挑むようになった。
 そして、当時の日本に「壁画の時代」を築くことに意欲を燃やし、1936年(昭和11年)2月に発表した「現代壁画論」の中で、

「吾等すべてが共力してこの壁画の時代を作れば、結局国の富、国の誇りを作り出す訳である」
「画其の物の本質的条件に適ひ、更に独創的な天分の発表と制作であったらばその画は永久に国宝として、国の誇りを増す……」
(「現代壁画論」より)


などと語っている。

 自分自身についても「更に数をふんで何れのP1010454 藤田嗣治日にか満足に近い大幅の出現を夢み切々と実行している次第である」(「現代壁画論」より)として、大作壁画の実現に並々ならぬ意欲を燃やしていたのである。

 翌1937年2月に描かれた、壁画「秋田の全貌」(後に「秋田の行事」と呼ばれる)は、実は藤田自身が夢みた、満足に近い大幅であり、快心作であることが窺われる。
 少なくても藤田が、快心の作を描くという意識のもとに描いた作品であることに違いない。

 藤田は、15日間、174時間というスピードで壁画「秋田の全貌」(後に「秋田の行事」と呼ばれる)を完成させた。これは、早筆で知られる藤田がそのスピードに挑んだものではあったが、必ずしも藤田の壁画制作にとって特別なことではなかった。
 日本に帰国後、最初に描いた壁画「大地」の制作日数と時間は、31日間、360時間であったし、メキシコで観たリベラは、壁画を1日に10メートル四方も描いていたことを藤田は知っていた。

 壁画「秋田の全貌」(後に「秋田の行事」と呼ばれる)完成後、藤田は「四百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」(1983年1月9日、朝日新聞「聞き書き・わがレオナルド藤田」)と興奮して語り、普段は決して口にすることのない酒を一杯飲み干し、祝ったと伝えられている。
 また、平野政吉には、天皇陛下が見に来られたら、こう説明申し上げてくれと詳細に指示したことが伝えられている。

「壁画時代」の到来を願い、

「多数の画家によって総べての形によって日本の到る処の地に名物の壁画を作成されん事を切望する次第である」(「現代壁画論」より)

と藤田は語っている。
 平野政吉が、藤田に全国の道府県の壁画を描いてもらうことを夢みていたのと同様に、藤田は全国各地に名物になるような壁画が、多数の画家によって制作されることを夢み、願っていたのである。

 その藤田の夢が、日本で唯一、実現されたのがP1010455平野政吉 800x600、壁画「秋田の全貌」(後に「秋田の行事」と呼ばれる)であって、それを実現させたのが、唯一、秋田の美術品収集家・平野政吉であったのである。

 画家・藤田嗣治の夢、理想の実現に、財を惜しまず尽力した平野政吉の功績は、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の画業と近代絵画史を語るうえで、非常に大きいものがある。

 そういった事実を直視すれば、平野政吉が藤田嗣治の助言を忠実に守り、建てたという平野政吉美術館は、二人が共同して建てた美術館であるわけで、この美術館から、平野政吉が命を懸け収集したコレクションを切り離し、移すという行為は、尋常でない行為に思えるのである。


        P1010180_03 平野政吉美術館(2013年6月)


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「秋田の行事」の展示状況


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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」





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  • 2013.11.27(05:30)|文化||TOP↑
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    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

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