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2011.07.16
平野政吉美術館の移転理由は何か 2

平野政吉美術館の移転理由は何か 1 からつづく
 
 また、県議会において、再開発地区への移転が「秋田への観光客誘致の一助に資する」という、藤田と平野の理念に合ったものだと言う議論もあったが、誤った論理である。秋田への観光客誘致の一助に資するために、恒久的な場所として、千秋公園の入口の最高の場所である現在の場所に現美術館が建てられたのである。
 さらに、近年、東京などで開催された藤田嗣治巡回展に比べ、平野美術館の入館者が少ないことを問題視し、移転が必要だという議論もあった。2010年国勢調査の結果によると首都圏(1都3県)の人口は35,623,327人であり、秋田県人口は約32分の1の1,085,878人にしか過ぎない。単純計算で見ても秋田市にある平野美術館の100人の入館者は、首都圏の3280人に相当し、入館者が少ないとは決して言えないはずだ。
 没後40年レオナール・フジタ展などが多くの観客を動員したのは、企画が優れていたことによるものだ。全国紙新聞社、テレビが主催し、大企業の協賛、外務省やフランス大使館などの後援を得て企画された展示会である。秋田県単独では多くを望めるわけもなく、自己満足的なものしかできないと思われる。

 平野政吉美術館の移転の理由とされるものは、合理性に乏しく、特定の考えを持った人達だけが利するような移転計画に思える。また、美術館は、訪れた人々が美術作品と向き合う場所であることが忘れられ、にぎわい創出と結びつけられている。
 この移転計画は、当初より、平野美術館を移転させ、跡地に他の施設(千秋公園内の某施設)を移転させることを目的とした計画であったことが明らかになっている。当時の県会議員のブログにも示されている。現在では、平野美術館の建物を残すべきだと言う市民、県民の声が高まったことにより、方向を変え、平野美術館の建物だけを残し、建物に他の施設を移そうという目論見に変化している。(県議会において千秋公園内の某施設、美人会館の名が出されている)
 このような移転計画は人間としての道義に反するものではないか。

 平野政吉美術館は、藤田嗣治作品を始めとした美術品の収集に全生涯をかけ、「秋田」の地に収集した作品を残そうとした平野政吉の人生の終着点であり、業績の集大成である。美術館の屋根にある採光のための丸窓は平野政吉が藤田の助言を忠実に守った証であることを平野政吉は明言している。そして、この平野政吉美術館には、レオナール・フジタ(藤田嗣治)の最後の作品であるフランス、ランスの「平和の聖母礼拝堂」に通じる藤田の尊い思いが込められている(注)。

 平野政吉美術館はこれまで通り、平野政吉が収集した「秋田の行事」を始めとした藤田嗣治作品を保存、展示、公開する美術館として存在し続けることが、本来の在るべき姿であり、藤田嗣治作品と一体になって、秋田の世界に誇れる文化遺産としての価値を高めるに違いない。
平野政吉美術館の移転理由は何か 1 からお読みください
 


(注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。



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(タグ)平野政吉美術館の移転理由




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        P1010726 平野美術館(9-14)


藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)





 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)




 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が教示した展示室です。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)



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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」





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  • 2011.07.16(23:30)|文化||TOP↑
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    Author:akitabunka

    昭和30年代の生まれ。
    秋田生まれ、東京都内で
    美術関連の職に就く。
    秋田市在住。
    性別 : 男

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